授業詳細

CLASS


駄菓子のある街「西区新道・明道町界隈」を知る〜歩いて感じるまちのこと〜

開催日時:2017年05月13日(土) 10時00分 ~ 12時00分

教室:名古屋西区新道(明道町)界隈

レポートUP

先生: 浅野順子 / 「ものづくり文化の道」マイスター

カテゴリ:【まち歩き/歴史・文化】

定 員 :15人

【参加費用】
※参加費としてお一人様1,000円頂戴します。(保険料含む)
※中学生以下は、保護者同伴に限り参加費不要。(事前に事務局まで連絡ください。)

【集合・解散場所】
※集合場所(受付開始9:45〜):地下鉄鶴舞線「浅間町駅」改札口出口付近
※明道町交差点界隈で解散します。授業後も引き続き、、問屋街でのお買いものをお楽しみください。

【その他】
※雨天決行。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。
自分の住んでいるまちの物語。皆さんは、どれぐらい知っていますか?
名古屋市の西区新道・明道町界隈には、全国最大規模の駄菓子問屋街があります。

尾張藩の下級武士らが手内職として煎餅や飴菓子などをつくりはじまたことでまちがさかえ、
関東大震災の後に、被災地の東京の子供達にお菓子を供給した事から、
全国的な菓子問屋街に成長したと言われています。

現在は、まちの駄菓子屋さんの減少や中京菓子玩具卸市場の閉鎖などもあり、
規模は小さくなりましたが営業を続けているお店はたくさんあります。

クッピーラムネのカクダイ製菓さん、アタリ付きのガムやオレンジ味のマーブルガムなどを
製造している丸川製菓さんなどの駄菓子メーカーもこのまちに集積しています。

今回の授業では「ものづくり文化の道」マイスターとして、西区の街歩きガイドをしている浅野さんを先生に迎え、
新道・明道町界隈に残るまちの歴史を学びます。
また、途中で創業七十余年の豆菓子メーカー豆福さんに立ち寄り、特別に製造現場を見学させていただきます。

先生と一緒にまち歩きをしたり、メーカーさんの方のお話を聞いたりしながら、駄菓子の街の風景を一緒に感じましょう。

西区新道・明道町界隈を初めて訪れる方はもちろん、
駄菓子が好きな方もご参加ください。

9:45 受付開始 地下鉄 鶴舞線 浅間町駅 改札口出口
10:00 授業開始、導入、自己紹介
10:10 まち歩き開始 
10:30 豆福さん工場見学
11:30 まち歩き再開
12:00 振り返り、アンケート、明道町交差点界隈で解散予定

※解散後に、問屋街でのお買いものをお楽しみください!

授業コーディネーター:大野 嵩明
〇〇街と言われる場所は多く、例えば古本屋の街は神田神保町、
電気街は秋葉原、道具街は合羽橋と有名な場所は東京に多いですが、
名古屋にも古くから〇〇街とつく場所があります。
それが、西区の新道・明道町にある菓子問屋街です。

江戸時代、下級武士らが手内職として駄菓子を作り、菓子のまちとして栄えました。
ちなみに明道町という町名は存在せず、交差点の名称として残っているだけです。

そんな、昔ながらの風情残るお菓子問屋街のまち歩きでしたが、当日はあいにくの雨。
でも、この授業の先生である、浅野順子先生は雨の中でも楽しい授業をしてくださいました。



まずは地下鉄鶴舞線の浅間町駅で集合。駅構内にある地図を見ながら、
先生が本日の行程や街の歴史を教えてくれました。
予習も終わったところで傘をさしながらのまち歩きがスタート。

まず向かったのは美濃路にある樽屋町の大木戸跡。
名古屋城を起点とする城下町には、治安のため木戸が設けられていました。
なかでも重要な街道には「大木戸」を設け、夜間は閉鎖し、城下防御の役割を持たせていました。

名古屋城下には三か所の大木戸があり、そのひとつがこの地にあったそうですが、
今では「江川 どんぐりひろば」になっており、面影がなく・・・。

当時の資料を掲げながら説明して頂きました。
資料を見ると全く現在とは異なっており、歴史を感じられます。

続いて美濃路から新道へ移動しました。

美濃路は、徳川家康が関が原から凱旋した道で、当時の重要人物がこの道を通ったため、
商売人用に美濃路の脇から新しい道をつくり、それが「新道」と呼ばれるようになったそうです。

また、美濃路と新道が交わるところには、
海福寺・林貞寺・宝周寺など6つのお寺があります。そこにも立ち寄りました。



その後、新道沿いを歩き、駄菓子に関わるモノを見つけながら、途中地域の方から
お話をきく機会がありました。この地域は、駄菓子の製造などで栄えていたこともあり、
大きな山車があったそう。戦争で焼けてしまいなくなってしまったのですが、
その写真を見せていただきました。






続いて、昭和14年創業の豆菓子メーカーの豆福さんへ。



社長さん自ら、工場内を案内して頂きました。社内の風通しが良く、
社員の皆さんで新作を考えるのだそうです。

社長がOKを出しても、社員がNGだとボツになるとの裏話も聞けました。
この豆福さんでは皆さん買い物を楽しまれていました。



菓子問屋を眺めながら、江川線を渡り、中央菓子卸売市場へ向かいました。

ここはとても歴史も建物も古く、トタンの壁で入って良いものか迷ってしまう空間。



今にも壊れそうな佇まいですが(失礼)、
勇気を出して入ってみると、異空間が広がりますが、お菓子がいっぱいに売られています。

名古屋では嫁入りに引出物でお菓子を配ったり、
結婚式ではお菓子をばら撒いたりする光景がテレビでやっていましたが、
今でもそのような風習はあるようです。

こういったお菓子のプロたちが支えているのでしょうね。



中央菓子卸売市場のとなりにある隅田神社にもお参りをし、
今回のまち歩きの授業は終了しました。

雨が降る中でしたが、先生の一生懸命に伝えようとする姿。
それに一生懸命に耳を傾ける生徒さん。
豆福さんでは温かい豆茶を頂き、肌寒い身体が温まりました。
地元の方からも色々とお話をして頂き、本当に人情溢れるあち歩きだったなと思いました。

だから名古屋って大好きです。



レポート:石坂喜和
カメラ:あいざわけいこ

※写真をクリックすると拡大します。


 

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先生

浅野順子 / 「ものづくり文化の道」マイスター

西区に住んで40年。「ものづくり文化の道」マイスター。

今回の教室

名古屋西区新道(明道町)界隈

住所:名古屋市西区新道

尾張藩の下級武士らが手内職として煎餅や飴菓子などをつくりはじまたことでまちが栄え、さらに関東大震災の後に、被災地の東京の子供達にお菓子を供給した事から、全国的な菓子問屋街に成長したと言われています。

現在は、駄菓子屋さんの減少や中京菓子玩具卸市場の閉鎖などもあり、規模は小さくなりましたが今でも営業を続けているお店はたくさんあります。