授業詳細
CLASS
半田赤レンガ建物へようこそ
~幻のビールはここから生まれた~
開催日時:2015年09月13日(日) 14時00分 ~ 16時30分
教室:半田赤レンガ建物
レポートUP
先生:
馬場信雄 / 一般社団法人赤煉瓦倶楽部半田 理事長
カテゴリ:【歴史・文化、知多半島】
定 員 :30人
・参加費として1,000円を頂戴します(ドリンク1杯付)
・2杯目以降はキャッシュオンです
赤レンガの建物といえば…横浜の赤レンガ倉庫?・2杯目以降はキャッシュオンです
実は知多半島にも存在するんです。
半田市は住吉町で、その昔、ビールが製造されていました。
映画『風立ちぬ』にも看板が出てきた“カブトビール”。
今となっては「なにそれ?」という感じですが、その昔はヱビス(東京)・アサヒ(大阪)・サッポロ(札幌)・キリン(横浜)と並ぶ日本を代表するビール銘柄のひとつで、パリ万博にも出品されたとか。
そのカブトビールをつくっていた工場が、半田の赤レンガ建物なのです。
1898年にドイツに倣ったビール工場として建立されて以来、地元のシンボルとして
愛され続けてきた赤レンガ建物。
第2次世界大戦中は近隣の飛行機製作所の衣糧倉庫としても使われたとのこと。
1945年の半田空襲で襲撃を受けた跡がいまでも建物に残っています。
さらに、なんと一度は「用済み」として壊されかけ、かろうじて生き残ったという過去も持っています。
今回の授業では、激動の時代を見つめてきた赤レンガ建物の特別スペースで
赤レンガ建物やカブトビールの100年を超える歴史をひも解いていきます。
米騒動絵巻に富岡製糸場、ドイツ人技術者やイギリス方式、ビールなのに牛を使った広告!?、パンとビールの意外なつながりなど…知多半島のみならず世界を相手にしたエピソードがたっぷり詰まっています。
秋の善き日に、赤レンガ建物をめぐる時の流れに思いを馳せてみませんか?
(授業スケジュール)
13:45 受付開始
14:00 授業スタート 自己紹介
14:15 赤レンガ建物内を見学
14:50 Break Time
15:00 理事長のお話
15:45 ワークショップ 〜未来の赤レンガ建物を考えよう〜
16:10 グループ発表
16:20 ふりかえり・記念撮影
16:30 授業終了
※授業後、希望者のみでカブトビールが飲める懇親会を予定しています。
当日参加大歓迎です!
●授業コーディネーター名●
芳金秀展、片岡優紀、井上麻衣
秋空の下、赤く大きくそびえ立つ半田赤レンガ建物。ここは今から100年以上も前の
明治31年(1898年)丸三麦酒のビール工場として誕生しました。
かつて、日本の4大ビールメーカーに挑み、日本のビールメーカーとして5大ビールメーカーの
名を目指したカブトビールが作られていたのです。
今回の知多半島キャンパスの授業は、幻のビールと言われたカブトビールと、
激動の時代を見つめ続けてきた赤レンガ建物の歴史とこれからをテーマに進められました。
授業のスタートは、いつもの30秒自己紹介から。この授業は大ナゴヤ大学6周年記念授業ということで、
数ある授業の中からの選択だったということもあり、授業に参加した理由も聞いてみると・・
・他府県から遊びに来てくれる友人をぜひ案内したいから。
・赤レンガ建物を中心に栄えた半田を知りたい。
・赤レンガ建物の建築構造に興味があって。
・半田は醸造の街と言われていて、半田の醸造文化を知りたくて。
・馬場さんの話が聴けるとのことで。 などなど・・・
今回は学生を含み知多半島から参加された方が多く、地元の関心度の高さが伺えます。
カブトビールと半田赤レンガ建物の歴史秘話。これらをナビゲートして下さったのは、
赤煉瓦倶楽部半田の理事長 馬場信雄先生。一旦は取り壊しが決まり一部解体が始まっていた
赤レンガ建物を窮地から救いだし、甦らせた立役者のお一人です。
江戸時代、ここ知多半島の半田は醸造の街と言われるように、
知多酒の醸造が盛んで江戸末期~明治初期には227軒の酒蔵がありました。(2014年には6軒)
そんな地、半田でビールが作られるようになったのは、明治初期に酒造株鑑札制度が廃止になり、
免許料を支払えば自由に酒造業を営めるようになるという時代背景。大きなビジネスチャンスがやってきます。
そこに着目したのは現在のミツカン、中埜酢店の4代目中埜又左衛門と、その甥である盛田善平。
日本酒だけではなく、本格的ドイツビールの製造にチャレンジしたのです。
当時、日本には現在のアサヒ・サッポロ・キリン・ヱビスが4大メーカーと言われ、
そこに名を連ねるまでの成長を成し遂げたのです。それは、本格的ドイツビールにこだわり、
大胆な広告戦術が実を結んだ結果でした。カブトビールは初め、
丸三ビールという名前で発売されましたが日清戦争の後「勝って兜の緒を締めよ」の言葉から
カブトビールになったというのが名前の由来だそうです。
そしてカブトビールの特徴は・・・ 1.アルコール度7% 2.ホップが現代のビールの2倍で苦味が強い
3.麦汁糖度が高く茶褐色(赤ビール) 4.炭酸が現代のビールより30パーセント少ない といった、
本格的なドイツビールとして人気が高かったのです。
じっくりとお話を聞いた後は、馬場先生のガイドで展示室や館内の見学をしました。
この半田赤レンガ建物の設計は、明治時代を代表する建築家・妻木頼黄。
技法的に現在では類例が無いのだそうです。館内は壁は2~5重の空気層が作られていて、
アーチ状の天井にはさらにアーチを重ねて空気層を作る。さらに天井裏にはオガクズを詰める事によって、
断熱効果を高めていました。また西日が当たらないように、半地下構造がとられており、
建物全体を外気温から遮断するという、冷房機能がない時代の工夫が随所にあり、当時の苦労と知恵と技術に感心しきり。
またレンガの積み方にもフランス積みとイギリス積みがあり、
半田赤レンガ建物は・・・・ さて?どちらでしょうか?ぜひ、お出かけになって確かめてみてくださいね!
展示室には当時のカブトビールのビンや木箱、販促用のグッズ、さらにはポスター、看板、広告など時代を感じ、
このままの形でよく残っていたな~と食い入るように見入ってしまいます。グラスや小物はレトロ感満載で、
自分の家にあったらいいな!と思えるような物が数々ありました。
一旦、建物の外にでてぐるりと周っていくと、北側の外壁にたくさんの穴が開いています。
戦時中は中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていたため、
攻撃の標的となり機銃掃射跡が生々しく残されているのです。 馬場先生によると、
以前ここを訪れた年配の方が「この時の事を覚えています。」と話し始めたそうです。
「当時小学1年生の時に、戦闘機を操縦する兵士の顔がはっきりわかるほどの低空飛行で
弾丸を撃ち込んでいきました。すごく怖かった。」とのお話を聞き、私も背筋がゾッとしました。
こんな戦争の傷跡も貴重な遺産だと思いましたね。
その後、部屋に戻りブレイクタイム。地元ミツカン酢さんからの飲むお酢でリフレッシュ!
お酢が苦手な人にも飲みやすいフレーバー酢で、いろいろな味を楽しみましたよ。
一息ついて各グループに分かれ、ワークショップ開始!テーマは「未来の半田赤レンガ建物を考えよう」
馬場先生のお話や館内の見学をして、これからの半田赤レンガ建物へのイメージが膨らみ、
各グループ個性のある意見が出されました。 いくつかをピックアップしてみましょう。
・ちょうど彼岸花の季節なので、赤レンガ、カブトビールの赤ビール、彼岸花の赤を合わせてレッドビアガーデンの開催!
・近辺にある4つの高校が交流をしたり、学校帰りに立ち寄れる場や、感化された人たちのインキュベーションの場として活用。
・子どもたちのカルチャー教室。子どもが飲めるビール作り教室など。
・展示だけだと見学しておしまい。になってしまうので、音楽やアルコールイベント、お化け屋敷やイルミネーションといった季節ごとのイベント。
・カフェは昼間だけの営業ではもったいない。
・クラフトビールフェス。
・人づくり、モノづくりの場。
・公開されていない2階スペースの活用。
・入場券が記念になるようなデザインにする。
・若い作家さんが壁面などをコラージュする。
・西三河と知多半島を結ぶタウンバスを走らせ、近隣の文化資材をつなげる・
・裏方に回っての発信拠点。
・知多蒸留所や常滑焼、近隣市街のとのコラボ。
・伝える―学ぶ―作るをテーマに。
・五感を満たすバーやレストランの開設。
と、様々なアイディアが続出!
授業の最後に馬場先生から、今後の半田赤レンガ建物が若者たちによる起業家精神の学びの館、
文化芸術の拠点として発展してくれることを願っています。とのお話で締めくくられました。
そして!授業後はビールを学んでこのまま帰るわけにはいかない?ということで、
馬場先生やスタッフも一緒に懇親会! ここでしか飲めない生のカブトビールで乾杯!
通常の瓶のカブトビールと飲みくらべも~ 美味しいカブトビールを飲みながら、
半田赤レンガ建物について語り合う。至福の時を過ごして完結しました。
授業を終えて、私は常時開放される前に何度か訪れた事があるのですが、
現在も未公開となっている2階のスペースに初めて足を踏み入れた時のひんやり感は
夏の暑さを忘れてしまうような体感でした。それは建物の構造上の為でもあり、
THE廃墟!といった空気感だったかもしれません。まだまだ赤レンガ建物には秘密がいっぱい。
これからの活用次第でベールに包まれた赤レンガ建物の秘密が明かされるかもしれませんね!
(レポート担当:ボランティアスタッフ 空閑省子
カメラ担当:ボランティアスタッフ 久保田充)
明治31年(1898年)丸三麦酒のビール工場として誕生しました。
かつて、日本の4大ビールメーカーに挑み、日本のビールメーカーとして5大ビールメーカーの
名を目指したカブトビールが作られていたのです。
今回の知多半島キャンパスの授業は、幻のビールと言われたカブトビールと、
激動の時代を見つめ続けてきた赤レンガ建物の歴史とこれからをテーマに進められました。
授業のスタートは、いつもの30秒自己紹介から。この授業は大ナゴヤ大学6周年記念授業ということで、
数ある授業の中からの選択だったということもあり、授業に参加した理由も聞いてみると・・
・他府県から遊びに来てくれる友人をぜひ案内したいから。
・赤レンガ建物を中心に栄えた半田を知りたい。
・赤レンガ建物の建築構造に興味があって。
・半田は醸造の街と言われていて、半田の醸造文化を知りたくて。
・馬場さんの話が聴けるとのことで。 などなど・・・
今回は学生を含み知多半島から参加された方が多く、地元の関心度の高さが伺えます。
カブトビールと半田赤レンガ建物の歴史秘話。これらをナビゲートして下さったのは、
赤煉瓦倶楽部半田の理事長 馬場信雄先生。一旦は取り壊しが決まり一部解体が始まっていた
赤レンガ建物を窮地から救いだし、甦らせた立役者のお一人です。
江戸時代、ここ知多半島の半田は醸造の街と言われるように、
知多酒の醸造が盛んで江戸末期~明治初期には227軒の酒蔵がありました。(2014年には6軒)
そんな地、半田でビールが作られるようになったのは、明治初期に酒造株鑑札制度が廃止になり、
免許料を支払えば自由に酒造業を営めるようになるという時代背景。大きなビジネスチャンスがやってきます。
そこに着目したのは現在のミツカン、中埜酢店の4代目中埜又左衛門と、その甥である盛田善平。
日本酒だけではなく、本格的ドイツビールの製造にチャレンジしたのです。
当時、日本には現在のアサヒ・サッポロ・キリン・ヱビスが4大メーカーと言われ、
そこに名を連ねるまでの成長を成し遂げたのです。それは、本格的ドイツビールにこだわり、
大胆な広告戦術が実を結んだ結果でした。カブトビールは初め、
丸三ビールという名前で発売されましたが日清戦争の後「勝って兜の緒を締めよ」の言葉から
カブトビールになったというのが名前の由来だそうです。
そしてカブトビールの特徴は・・・ 1.アルコール度7% 2.ホップが現代のビールの2倍で苦味が強い
3.麦汁糖度が高く茶褐色(赤ビール) 4.炭酸が現代のビールより30パーセント少ない といった、
本格的なドイツビールとして人気が高かったのです。
じっくりとお話を聞いた後は、馬場先生のガイドで展示室や館内の見学をしました。
この半田赤レンガ建物の設計は、明治時代を代表する建築家・妻木頼黄。
技法的に現在では類例が無いのだそうです。館内は壁は2~5重の空気層が作られていて、
アーチ状の天井にはさらにアーチを重ねて空気層を作る。さらに天井裏にはオガクズを詰める事によって、
断熱効果を高めていました。また西日が当たらないように、半地下構造がとられており、
建物全体を外気温から遮断するという、冷房機能がない時代の工夫が随所にあり、当時の苦労と知恵と技術に感心しきり。
またレンガの積み方にもフランス積みとイギリス積みがあり、
半田赤レンガ建物は・・・・ さて?どちらでしょうか?ぜひ、お出かけになって確かめてみてくださいね!
展示室には当時のカブトビールのビンや木箱、販促用のグッズ、さらにはポスター、看板、広告など時代を感じ、
このままの形でよく残っていたな~と食い入るように見入ってしまいます。グラスや小物はレトロ感満載で、
自分の家にあったらいいな!と思えるような物が数々ありました。
一旦、建物の外にでてぐるりと周っていくと、北側の外壁にたくさんの穴が開いています。
戦時中は中島飛行機製作所の衣糧倉庫として使用されていたため、
攻撃の標的となり機銃掃射跡が生々しく残されているのです。 馬場先生によると、
以前ここを訪れた年配の方が「この時の事を覚えています。」と話し始めたそうです。
「当時小学1年生の時に、戦闘機を操縦する兵士の顔がはっきりわかるほどの低空飛行で
弾丸を撃ち込んでいきました。すごく怖かった。」とのお話を聞き、私も背筋がゾッとしました。
こんな戦争の傷跡も貴重な遺産だと思いましたね。
その後、部屋に戻りブレイクタイム。地元ミツカン酢さんからの飲むお酢でリフレッシュ!
お酢が苦手な人にも飲みやすいフレーバー酢で、いろいろな味を楽しみましたよ。
一息ついて各グループに分かれ、ワークショップ開始!テーマは「未来の半田赤レンガ建物を考えよう」
馬場先生のお話や館内の見学をして、これからの半田赤レンガ建物へのイメージが膨らみ、
各グループ個性のある意見が出されました。 いくつかをピックアップしてみましょう。
・ちょうど彼岸花の季節なので、赤レンガ、カブトビールの赤ビール、彼岸花の赤を合わせてレッドビアガーデンの開催!
・近辺にある4つの高校が交流をしたり、学校帰りに立ち寄れる場や、感化された人たちのインキュベーションの場として活用。
・子どもたちのカルチャー教室。子どもが飲めるビール作り教室など。
・展示だけだと見学しておしまい。になってしまうので、音楽やアルコールイベント、お化け屋敷やイルミネーションといった季節ごとのイベント。
・カフェは昼間だけの営業ではもったいない。
・クラフトビールフェス。
・人づくり、モノづくりの場。
・公開されていない2階スペースの活用。
・入場券が記念になるようなデザインにする。
・若い作家さんが壁面などをコラージュする。
・西三河と知多半島を結ぶタウンバスを走らせ、近隣の文化資材をつなげる・
・裏方に回っての発信拠点。
・知多蒸留所や常滑焼、近隣市街のとのコラボ。
・伝える―学ぶ―作るをテーマに。
・五感を満たすバーやレストランの開設。
と、様々なアイディアが続出!
授業の最後に馬場先生から、今後の半田赤レンガ建物が若者たちによる起業家精神の学びの館、
文化芸術の拠点として発展してくれることを願っています。とのお話で締めくくられました。
そして!授業後はビールを学んでこのまま帰るわけにはいかない?ということで、
馬場先生やスタッフも一緒に懇親会! ここでしか飲めない生のカブトビールで乾杯!
通常の瓶のカブトビールと飲みくらべも~ 美味しいカブトビールを飲みながら、
半田赤レンガ建物について語り合う。至福の時を過ごして完結しました。
授業を終えて、私は常時開放される前に何度か訪れた事があるのですが、
現在も未公開となっている2階のスペースに初めて足を踏み入れた時のひんやり感は
夏の暑さを忘れてしまうような体感でした。それは建物の構造上の為でもあり、
THE廃墟!といった空気感だったかもしれません。まだまだ赤レンガ建物には秘密がいっぱい。
これからの活用次第でベールに包まれた赤レンガ建物の秘密が明かされるかもしれませんね!
(レポート担当:ボランティアスタッフ 空閑省子
カメラ担当:ボランティアスタッフ 久保田充)
先生
馬場信雄 / 一般社団法人赤煉瓦倶楽部半田 理事長
1947年(昭和22年)京都府舞鶴市生まれ、岐阜大学農学部農芸化学科卒業、中埜酢店(現ミツカングループ本社)に入社。 1984年(昭和59年)から中埜酒造に出向、製品課長、総務部長、常務理事を経て2003年(平成15年)に常務取締役、2011年(平成23年)より顧問。 現在、半田赤レンガ建物の保存・活用に取り組む一般社団法人赤煉瓦倶楽部半田の理事長のほか、半田市観光協会運営委員、半田間税会相談役、半田商工会議所特別委員会委員を担う。 半田酒造協同組合では「知多酒で乾杯キャンペーン」などの事務局を担当。 酒の文化館で「お酒を楽しむ会」の講師として、日本酒文化の普及活動に尽力している。 2011年(平成23年)中日新聞「味な提言」に10回連載。
今回の教室
半田赤レンガ建物
住所:半田市榎下町8番地