授業詳細
CLASS
キャラが立ってますよ!猩々さん。
開催日時:2017年11月11日(土) 14時00分 ~ 16時00分
教室:久野さんの自宅
レポートUP
先生:
久野 充浩 / 笠寺猩々保存会 代表
カテゴリ:【くらし、歴史・文化、まちづくり】
定 員 :15人
※参加費無料講座。
※集合場所:JR笠寺駅改札口 出口付近
※猩々の作成体験を行う予定のため、汚れても良い服でお越しください。
猩々(しょうじょう)、それは中国の想像上の動物。※集合場所:JR笠寺駅改札口 出口付近
※猩々の作成体験を行う予定のため、汚れても良い服でお越しください。
体は人間に似ていて、朱色の長い毛に覆われ、顔は人間に似ている、
声は小児の鳴き声に似ており、人間の言葉を介してお酒を好むと言われています。
なーんて説明せれて、どんな生き物を想像しましたか?
名古屋に初めて来て二年目の夏を迎えた時、あるお祭りで猩々を見た時、
印象としては気味が悪い!なにこれ!と衝撃が走ったことを覚えています。
これ、南区民の子供にとっては馴染みがあるものだそうで、
まあ、現れたものなら茶々を入れに立ち向かう猛者もいるそうです。
上方文化ではなく町人文化として継承されてきた猩々文化は、
各地で形を変えつつ存在していますが、お祭りの立役者として
根付いているのは名古屋市南部のみといっても過言ではありません。
私自身お祭りに参加しているとつくづく不思議な力があるなと感じます。
地区の人はよく知らない、でもお祭りは知っている、
お祭りがあれば何となーく仲良くなってしまう。
それは、誰かのためにお祭りが存在しているのではなく、やりたい、
また来年も続けたというただ純粋な欲求が原動力となっているからかなと思います。
皆さんの町にもきっとあるはず、受け継がれているお祭りが。
今回は、猩々文化が残しお祭りに熱い情熱を注ぎ、
そんな文化を守り続けている猩々保存会の代表、久野充浩さんを講師に迎え、
名古屋市南部に猩々文化が根付いた歴史、合わせて猩々の歴史、
地域別猩々の特徴などなどお話を伺っていきたいと思います。
久野さんは南区、緑区の猩々の修正を一手に担っており、
当日は、10月頭に開催された「七所神社例大祭」にも出ていた笠寺の各地区の猩々や、
次回のお祭りに向けて修正途中の猩々、大正時代以前から作られている貴重な猩々が見学できます。
その猩々達の修繕体験や実際にかぶってみる体験を行なっていきます。
【スケジュール】
13:30 受付開始(集合場所:JR笠寺駅改札口 出口付近)
13:45 教室へ移動
14:00 授業開始 アイスブレイク
14:10 猩々が南区に広まった歴史
14:25 南区猩々の特徴
14:40 猩々修正体験
15:20 ワークショップ 地元のお祭りを振り返
15:40 みんなと共有、アンケート
16:00 集合写真、解散
授業コーディネーター:佐藤あゆみ
「猩々(しょうじょう)」とは。
元々中国の想像上の動物で、日本では大酒飲みで幸運をもたらす福の神とされています。
江戸時代から酒造業が盛んな名古屋市南部のお祭りに、張りぼての不気味な顔の大人形として現在も毎年お祭りの時期になると登場し、猩々にお尻を叩かれると1年間無病息災のご利益があるとの事で昔から地域の人々に親しまれています。
今回はそんな「猩々」について学んでみようという授業。
授業の先生は、猩々の修繕作業もされている笠寺猩々保存会会長の久野さん。教室である久野さん宅の作業部屋には、猩々の面が何体も置いてありました。猩々についての授業をするには最高の場所です。
そんな多くの猩々に見守られながら、授業がスタートしました。
参加された生徒さんは、笠寺のお祭りで猩々のことを知って、猩々の修繕体験に興味があって参加された方や、地元のお祭りには出てこない猩々がどんなものか見に来たという方もいました。
まずは久野さんから、猩々の歴史や、ご自身との関わりや保存会についてのお話。
子供の頃から、お祭りで猩々を見ていた久野さんは、いつか自分も猩々の中に入りたいと思っていましたが、子供の頃は同級生と交代でほとんど中に入れなかったそうで、いつか自分だけの猩々を作りたいという思いがあり、それがきっかけで猩々の制作技法を研究しだし、2005年に開催された愛知万博の際には、猩々の展示をするということで、それを機に笠寺猩々保存会が立ち上がりました。
久野さんは、現在までにいくつもの猩々の修繕を行ってきたそうです。
猩々がテレビで紹介された時の映像も見せてもらいました。映像の中では、やはり子供は猩々が近寄るだけで怖がって泣いていましたが、久野さんの子供のころは猩々が自転車にのって追いかけてきたり、竹の棒でミミズ腫れするくらい叩かれたりと、もっと怖かったそうです。
現在は事故があってはいけないので、さすがにそこまではないそうですが、そのお話に生徒さんもスタッフも驚きを隠せませんでした!
続いては生徒さんに、猩々の面の修繕作業を実際に体験してもらいました。
伝統の作り方ということで水糊をたっぷりと塗り、ちぎった和紙を1枚1枚貼り付けていく地道な作業です。染料は赤い弁柄、水、柿渋を混ぜた伝統の染料を使うとのことで、実際に使われているものも見せてもらいました。
また、猩々をつくるには、少なく見積もっても30万円はするとのことです。高いと思われる方もいるかもしれませんが、和紙を約50回も貼り重ねる作業や、髪の毛の部分の麻の染色作業などの手間を考えると、やはりそのぐらいの値段になってしまうそうです。
猩々は背の低い子供が見上げたときにどう見えるかを考えて作られており少し前のめりの表情につくっているという事や、先人の作った顔型はなるべく崩さないようしているといったこだわりも話されていました。
さらに生徒さんには実際に猩々をかぶってもらいました。
猩々をかぶった生徒さんは、
「違和感はなくて、意外と視界はいい」
「重くてずっとかぶってると腰にくる!」
などと様々な感想を口にされていました。
最後は、明治時代に猩々作りの名工によって作られた猩々の面を見せてもらいました。昔は紙は貴重でしたので、猩々の面に貼られている紙は、使われなくなった帳簿や教科書などが使われており、昔の良きリサイクル精神が伺い知れます。
久野さんは締めくくりに、「こういった授業がないと、昔の貴重な猩々の面は見れないし、猩々を作っている人が、今も江戸時代からの伝統の方法で作っているという事をわかってもらえれば嬉しい」といったことを、話されていました。
授業を終えて、生徒さんからは、
「お祭りは面倒臭いだけと思っていたけど、お祭りっていいなと思った」
「ここまで猩々に手がかかっているとは思わなかった」
「久野さんが猩々が大好きなんだなという思いが伝わってきた」
と、感想を話されていて、それぞれに猩々伝統を守ることや地域のつながりについて、何かしら得たものがあったようです。
今回の猩々授業。熱いお話あり、貴重な体験ありと内容はとても良かっただけにもっと多くの生徒さんには参加して頂きたかったなと思います。
大ナゴヤ大学の授業として、こういった地元の伝統を守り続けている方々にスポットを当てて、それを知らない人や興味ない人に知ってもらうという橋渡し的な役割りとなる授業がもっとあってもいいなと思います。
レポート:河津一輝
写真:勝田麻美
元々中国の想像上の動物で、日本では大酒飲みで幸運をもたらす福の神とされています。
江戸時代から酒造業が盛んな名古屋市南部のお祭りに、張りぼての不気味な顔の大人形として現在も毎年お祭りの時期になると登場し、猩々にお尻を叩かれると1年間無病息災のご利益があるとの事で昔から地域の人々に親しまれています。
今回はそんな「猩々」について学んでみようという授業。
授業の先生は、猩々の修繕作業もされている笠寺猩々保存会会長の久野さん。教室である久野さん宅の作業部屋には、猩々の面が何体も置いてありました。猩々についての授業をするには最高の場所です。
そんな多くの猩々に見守られながら、授業がスタートしました。
参加された生徒さんは、笠寺のお祭りで猩々のことを知って、猩々の修繕体験に興味があって参加された方や、地元のお祭りには出てこない猩々がどんなものか見に来たという方もいました。
まずは久野さんから、猩々の歴史や、ご自身との関わりや保存会についてのお話。
子供の頃から、お祭りで猩々を見ていた久野さんは、いつか自分も猩々の中に入りたいと思っていましたが、子供の頃は同級生と交代でほとんど中に入れなかったそうで、いつか自分だけの猩々を作りたいという思いがあり、それがきっかけで猩々の制作技法を研究しだし、2005年に開催された愛知万博の際には、猩々の展示をするということで、それを機に笠寺猩々保存会が立ち上がりました。
久野さんは、現在までにいくつもの猩々の修繕を行ってきたそうです。
猩々がテレビで紹介された時の映像も見せてもらいました。映像の中では、やはり子供は猩々が近寄るだけで怖がって泣いていましたが、久野さんの子供のころは猩々が自転車にのって追いかけてきたり、竹の棒でミミズ腫れするくらい叩かれたりと、もっと怖かったそうです。
現在は事故があってはいけないので、さすがにそこまではないそうですが、そのお話に生徒さんもスタッフも驚きを隠せませんでした!
続いては生徒さんに、猩々の面の修繕作業を実際に体験してもらいました。
伝統の作り方ということで水糊をたっぷりと塗り、ちぎった和紙を1枚1枚貼り付けていく地道な作業です。染料は赤い弁柄、水、柿渋を混ぜた伝統の染料を使うとのことで、実際に使われているものも見せてもらいました。
また、猩々をつくるには、少なく見積もっても30万円はするとのことです。高いと思われる方もいるかもしれませんが、和紙を約50回も貼り重ねる作業や、髪の毛の部分の麻の染色作業などの手間を考えると、やはりそのぐらいの値段になってしまうそうです。
猩々は背の低い子供が見上げたときにどう見えるかを考えて作られており少し前のめりの表情につくっているという事や、先人の作った顔型はなるべく崩さないようしているといったこだわりも話されていました。
さらに生徒さんには実際に猩々をかぶってもらいました。
猩々をかぶった生徒さんは、
「違和感はなくて、意外と視界はいい」
「重くてずっとかぶってると腰にくる!」
などと様々な感想を口にされていました。
最後は、明治時代に猩々作りの名工によって作られた猩々の面を見せてもらいました。昔は紙は貴重でしたので、猩々の面に貼られている紙は、使われなくなった帳簿や教科書などが使われており、昔の良きリサイクル精神が伺い知れます。
久野さんは締めくくりに、「こういった授業がないと、昔の貴重な猩々の面は見れないし、猩々を作っている人が、今も江戸時代からの伝統の方法で作っているという事をわかってもらえれば嬉しい」といったことを、話されていました。
授業を終えて、生徒さんからは、
「お祭りは面倒臭いだけと思っていたけど、お祭りっていいなと思った」
「ここまで猩々に手がかかっているとは思わなかった」
「久野さんが猩々が大好きなんだなという思いが伝わってきた」
と、感想を話されていて、それぞれに猩々伝統を守ることや地域のつながりについて、何かしら得たものがあったようです。
今回の猩々授業。熱いお話あり、貴重な体験ありと内容はとても良かっただけにもっと多くの生徒さんには参加して頂きたかったなと思います。
大ナゴヤ大学の授業として、こういった地元の伝統を守り続けている方々にスポットを当てて、それを知らない人や興味ない人に知ってもらうという橋渡し的な役割りとなる授業がもっとあってもいいなと思います。
レポート:河津一輝
写真:勝田麻美
先生
久野 充浩 / 笠寺猩々保存会 代表
生まれも育ちも南区笠寺地区。 幼い頃から猩々が隣にある暮らしをして来た。 そして、追いかけ回され、追いかけ自分も猩々に入りたいをいう思いがあった。大人になるにつれて、作りたいへの想いは発展。 大人になってからは現在猩々文化を継承している人がいないことを知り、保存会を立ち上げる。 現在は猩々保存会代表として、南区緑区界隈の猩々の修理を一手に担っている。また、猩々と欠かすことのできないお囃子も含めお祭りがあれば猩々とお囃子隊が出現し、現在の子にまで猩々文化が継承されるべく活動を続けている。 http://www.geocities.jp/shoujouhozonkai/
今回の教室
久野さんの自宅
住所:JR笠寺駅付近
集合場所:JR笠寺駅改札口 出口付近