授業詳細
CLASS
死ぬということ、生きるということ。住職と考える”人生の終わり”とは?
開催日時:2018年07月07日(土) 13時30分 ~ 16時00分
教室:走井山 善西寺
レポートUP
先生:
矢田 俊量 /
カテゴリ:【くらし】
定 員 :20人
※参加費として1,500円申し受けます。
※お子様連れのご参加も歓迎いたします。
※なるべく公共交通機関をご利用くださいませ。やむを得ず駐車場をご利用の際はxmaix812@gmail.comまで事前にご連絡をお願いします。
※ご参加にあたり補助が必要な場合・介助者または同伴者をお連れの場合は、お手数ですがxmaix812@gmail.comまで事前にご連絡くださいませ。介助者または同伴者の方は無料とさせていただきます。
人生100年時代と言われる昨今。※お子様連れのご参加も歓迎いたします。
※なるべく公共交通機関をご利用くださいませ。やむを得ず駐車場をご利用の際はxmaix812@gmail.comまで事前にご連絡をお願いします。
※ご参加にあたり補助が必要な場合・介助者または同伴者をお連れの場合は、お手数ですがxmaix812@gmail.comまで事前にご連絡くださいませ。介助者または同伴者の方は無料とさせていただきます。
どう生きるかを考えることはあっても
「どう死ぬか」を考えることは、そうそう無いのではないでしょうか。
もしかしたら今日、突然命が終わるかもしれない。
かつてスティーブ・ジョブズはこう言いました。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?)
この授業では、普通であれば生きているうちには経験できないことをやってみます。
そう、棺桶に入ることです。
ちょっとセンセーショナルに聞こえるかもしれません。
でも想像してみてください。
いざ棺桶に身を横たわらせ、そして蓋が閉まったとき、あなたは何を思うでしょうか。
…少しばかり死と向き合ってみた後は、会場となる桑名・善西寺の矢田住職から
人生の終わり、そして「終活」に関するお話を聞いてみましょう。
就活ではなく終活。「人生の終わりのための活動」の略で、流行語大賞にノミネートされたこともある言葉です。
矢田住職はかつてアメリカで生命科学の研究をされていたというユニークなキャリアをお持ちの方。そんな矢田住職が考える終活は、世間のそれとはどうやら全く異なるようです。
無宗教の方もすでになんらかの信仰をお持ちの方も大歓迎です。ぜひ耳を傾けてみてください。
いつかは終わる人生。
死ぬということに真正面から向き合うことで、日々の生活を色濃く感じられるようになるかもしれません。
あなたはどんな終わり方を、そしてどんな生き方を望みますか?
※本授業は、三重に暮らす・旅するWEBマガジン"OTONAMIE"(http://otonamie.jp/)とのコラボレーション授業です
【スケジュール】
13:15 受付開始
13:30 授業開始、自己紹介、「生と死」を考えてみよう
13:40 入棺体験
14:15 休憩(赤飯&唐辛子汁の試食がございます)
15:00 講話
15:45 もう一度「生と死」を考えてみよう
15:55 記念撮影、アンケート
16:00 授業終了
(授業コーディネーター:生駒郁代、井上麻衣)
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キャンセル料について
安定的な運営のため、開催2日前以降のキャンセルはキャンセル料を申し受けます。あらかじめご了承ください。
やむを得ずキャンセルされる場合は、dai-nagoya@univnet.jpまでお早めにご連絡ください。
※電話連絡も可能ですが、打ち合わせなどで電話に出られない場合があります。留守電にメッセージを残してください。
Tel:070-5459-8213(受付時間:10:00~17:00 ※定休日:土・日・祝)
【キャンセル料】
2日前〜前日のキャンセル:参加費の50%
当日のキャンセル、無連絡不参加:参加費の100%
※電話でのキャンセルは当事務局の営業日、営業時間内にご連絡いただいた日を基準とします。
※代わりに参加できる方がおられる場合、キャンセル料は不要です。その旨をご連絡ください。
※無連絡不参加の場合、以後のご参加をお断りすることがございます。
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誰しもが必ずやってくるのに、案外考えない「生と死」。なぜ考えないのかといえば、そんな縁起悪いことことを考えたくないという気持ちもあるでしょうが、そもそもそういう事に触れる機会がないというのもあると思います。今回の授業は、お寺でお坊さんからお話を聞いて、生きること、死ぬことについて考えみようという授業です。
授業は三重県桑名市の浄土真宗のお寺である「善西寺」で行われました。当日は大雨の天候でしたが、交通機関の影響もさほどなく生徒さん達も到着し、無事開催することができました。
参加された生徒さんは、若い方から年配の方まで幅広い年代の方が参加されていて、医療関係や葬儀、お寺関係のお仕事をされている方もいました。生徒さんの自己紹介の時間では、やはり生死の考え方について学びたい、人生を見つめ直したいという事ででお坊さんのお話を聞きに来たということで、そして、「棺桶に入ってみたい」という事を話されている方が多くいました。
まずは、生徒さんに生と死についての質問の書かれた紙を配り、いま自身の生と死について、どう考えているのかを書いてもらいました。紙に書いてある質問は…
・これまでの人生の中で"生と死"を意識した出来事・エピソードは?
・あなたにとって"死ぬ"とはどんなこと?
の二点のみ。このシンプルだけど、簡単には答えられない質問に、生徒さん同士の話し合い等はあえて行わず、各自で考えを書き出してもらいました。その最中は、なんとも言えない静寂が漂っていました。
生徒さんの中には、なんども書き直している人、考え込んでしまい全く筆がすすまない人、逆にこれでもかと長文を書いている人もいて、それぞれに普段あまり考えない自身の生死について真剣に向き合っているようでした。
ここからは、2班に分かれて、班ごとに本堂での「入棺体験」と、本堂隣りの門徒会館での「唐辛子汁の試食」が交互に行われました。
●入棺体験
本堂の端に置かれた組みたて式棺桶が入ったダンボール。これを開けて部品を取り出し、男性スタッフ2人で皆さんの前で組み立てましたが、とても単純な構造のため、ものの数分で完成しました。
生徒さんには、焼香をして仏様にご挨拶した後、順番に入棺してもらいました。
入棺して、蓋がしまる瞬間、蓋の窓を開けた時に見える景色、再び蓋が開く瞬間を体験した生徒さん達は反応も様々で、始終笑顔の方もいれば、本当に亡くなったかのように無表情で目を閉じて感覚を味わう方もいて、さらには入棺したら、棺を持ち上げてほしいと要望される方もいました。棺桶から出た後も、「結構せまい…」、「案外おちつく」、「せまってくる感がある」など、様々な感想を口にされていました。
●唐辛子汁の試食
三重県のいなべ地方で行われる浄土真宗の葬儀の風習では、参列者に唐辛子汁と赤飯が振る舞われるそうです。今回は、いなべ出身の多湖さんお越しいただき、伝統の唐辛子汁を作ってくださいました。
唐辛子汁を試食した生徒さんからは、「しいたけの出汁の香りと味がいい!」、「適度な辛さで、くせになる味」、「レシピを教えてほしい」といった感想を話されていました。
ちなみに、赤飯は命が終わって浄土に向かったという事を祝うという意味で、唐辛子汁は別れの悲しみや辛(つら)みを表していることや、地域や時代によって葬式の形式やしきたりも色々異なっているなどの話をお聞きしました。
入棺体験と唐辛子汁の試食や由来について学んだ生徒さん達。再び本堂の席にもどり、いよいよ善西寺住職である矢田さんから、「生と死」についての講話の時間です。
2009年ごろから誕生し、自らの老いや死について備えるという意味の言葉である「終活」。最近は商売目的だけで、自身の死や生き方について考えない、カジュアルな終活セミナーが横行しているそうで、「これでいいのか?」と疑問符を投げかける矢田さん。
もう一度ゼロベースに戻して死について考えてもらいたいとの想いで、現在、様々な活動を行っているとのこと。
死を考えるにあたって、まず、一人称の死(自らの死)について、死は「不回避、不可逆(一度きり)、不可解(死んだと理解する事ができない)」であることや、死の直前に誰もが口にする言葉の例を紹介し、死を意識することの大切さをお話いただきました。
また、二人称の死(他人の死)、特に身近な人の死別についても、仏教の教えともかけ合わせて別れのありようの考え方や、死別に苦しむ遺族の悲嘆に対するケア(グリーフサポート)のお話、死生観に関しては子供の頃からの教えておくことの重要性を話されていました。
矢田さんのお話に生徒さん達は、大きく頷きながら聞き入る人もいれば、たまに下を向いて考え込んだり、一生懸命にメモを取ったりしている方もいて、みなさんそれぞれの捉え方で熱心にお話を聞いていました。
最後に、再び、授業開始時に配った生と死についての紙を配り、講話をきいた後での自身の生の死の考え方を書き込んでもらいました。ここでも、家に持ち帰って家族など身近な人に話してもらいたいという事であえて感想シェアなどは行わず授業は終了しました。
今回の授業は「死ぬ、生きる」という事を、お寺という場でお坊さんからお話を聞いて、自問自答するという、参加された方の心に響く授業だったと思います。本来なら、ここで生徒さんの感想を書くところですが、それぞれに死生観を心に感じて持ち帰っててほしかったので、私もあえて感想を聞きませんでした。
授業を受けた生徒さんが、人生を終える時、または親しい人と死別する時に、今回の授業の事を思い出してくれたらいいなと思います。また、昨今では社会に不満を持ち、自分で命を断ってしまったり、他人の命を軽々しく奪ってしまう事件がありますが、今回の授業のように、何かと避けられがちな生と死のテーマに触れる機会が増えて、お互いの命や価値観を尊重できるような世の中になったらなと思いました。
レポート:河津一輝
写真:大野嵩明、福田ミキ(OTONAMIE)
授業は三重県桑名市の浄土真宗のお寺である「善西寺」で行われました。当日は大雨の天候でしたが、交通機関の影響もさほどなく生徒さん達も到着し、無事開催することができました。
参加された生徒さんは、若い方から年配の方まで幅広い年代の方が参加されていて、医療関係や葬儀、お寺関係のお仕事をされている方もいました。生徒さんの自己紹介の時間では、やはり生死の考え方について学びたい、人生を見つめ直したいという事ででお坊さんのお話を聞きに来たということで、そして、「棺桶に入ってみたい」という事を話されている方が多くいました。
まずは、生徒さんに生と死についての質問の書かれた紙を配り、いま自身の生と死について、どう考えているのかを書いてもらいました。紙に書いてある質問は…
・これまでの人生の中で"生と死"を意識した出来事・エピソードは?
・あなたにとって"死ぬ"とはどんなこと?
の二点のみ。このシンプルだけど、簡単には答えられない質問に、生徒さん同士の話し合い等はあえて行わず、各自で考えを書き出してもらいました。その最中は、なんとも言えない静寂が漂っていました。
生徒さんの中には、なんども書き直している人、考え込んでしまい全く筆がすすまない人、逆にこれでもかと長文を書いている人もいて、それぞれに普段あまり考えない自身の生死について真剣に向き合っているようでした。
ここからは、2班に分かれて、班ごとに本堂での「入棺体験」と、本堂隣りの門徒会館での「唐辛子汁の試食」が交互に行われました。
●入棺体験
本堂の端に置かれた組みたて式棺桶が入ったダンボール。これを開けて部品を取り出し、男性スタッフ2人で皆さんの前で組み立てましたが、とても単純な構造のため、ものの数分で完成しました。
生徒さんには、焼香をして仏様にご挨拶した後、順番に入棺してもらいました。
入棺して、蓋がしまる瞬間、蓋の窓を開けた時に見える景色、再び蓋が開く瞬間を体験した生徒さん達は反応も様々で、始終笑顔の方もいれば、本当に亡くなったかのように無表情で目を閉じて感覚を味わう方もいて、さらには入棺したら、棺を持ち上げてほしいと要望される方もいました。棺桶から出た後も、「結構せまい…」、「案外おちつく」、「せまってくる感がある」など、様々な感想を口にされていました。
●唐辛子汁の試食
三重県のいなべ地方で行われる浄土真宗の葬儀の風習では、参列者に唐辛子汁と赤飯が振る舞われるそうです。今回は、いなべ出身の多湖さんお越しいただき、伝統の唐辛子汁を作ってくださいました。
唐辛子汁を試食した生徒さんからは、「しいたけの出汁の香りと味がいい!」、「適度な辛さで、くせになる味」、「レシピを教えてほしい」といった感想を話されていました。
ちなみに、赤飯は命が終わって浄土に向かったという事を祝うという意味で、唐辛子汁は別れの悲しみや辛(つら)みを表していることや、地域や時代によって葬式の形式やしきたりも色々異なっているなどの話をお聞きしました。
入棺体験と唐辛子汁の試食や由来について学んだ生徒さん達。再び本堂の席にもどり、いよいよ善西寺住職である矢田さんから、「生と死」についての講話の時間です。
2009年ごろから誕生し、自らの老いや死について備えるという意味の言葉である「終活」。最近は商売目的だけで、自身の死や生き方について考えない、カジュアルな終活セミナーが横行しているそうで、「これでいいのか?」と疑問符を投げかける矢田さん。
もう一度ゼロベースに戻して死について考えてもらいたいとの想いで、現在、様々な活動を行っているとのこと。
死を考えるにあたって、まず、一人称の死(自らの死)について、死は「不回避、不可逆(一度きり)、不可解(死んだと理解する事ができない)」であることや、死の直前に誰もが口にする言葉の例を紹介し、死を意識することの大切さをお話いただきました。
また、二人称の死(他人の死)、特に身近な人の死別についても、仏教の教えともかけ合わせて別れのありようの考え方や、死別に苦しむ遺族の悲嘆に対するケア(グリーフサポート)のお話、死生観に関しては子供の頃からの教えておくことの重要性を話されていました。
矢田さんのお話に生徒さん達は、大きく頷きながら聞き入る人もいれば、たまに下を向いて考え込んだり、一生懸命にメモを取ったりしている方もいて、みなさんそれぞれの捉え方で熱心にお話を聞いていました。
最後に、再び、授業開始時に配った生と死についての紙を配り、講話をきいた後での自身の生の死の考え方を書き込んでもらいました。ここでも、家に持ち帰って家族など身近な人に話してもらいたいという事であえて感想シェアなどは行わず授業は終了しました。
今回の授業は「死ぬ、生きる」という事を、お寺という場でお坊さんからお話を聞いて、自問自答するという、参加された方の心に響く授業だったと思います。本来なら、ここで生徒さんの感想を書くところですが、それぞれに死生観を心に感じて持ち帰っててほしかったので、私もあえて感想を聞きませんでした。
授業を受けた生徒さんが、人生を終える時、または親しい人と死別する時に、今回の授業の事を思い出してくれたらいいなと思います。また、昨今では社会に不満を持ち、自分で命を断ってしまったり、他人の命を軽々しく奪ってしまう事件がありますが、今回の授業のように、何かと避けられがちな生と死のテーマに触れる機会が増えて、お互いの命や価値観を尊重できるような世の中になったらなと思いました。
レポート:河津一輝
写真:大野嵩明、福田ミキ(OTONAMIE)
先生
矢田 俊量 /
善西寺住職。1963年桑名市生まれ、名古屋大学大学院理学研究科修了の理学博士。生命科学の研究者が尊いご仏縁により僧侶に転身。向きあう対象は「生命」から「いのち」へ。専門はグリーフサポート。龍谷大学非常勤講師。
今回の教室
走井山 善西寺
住所:三重県桑名市西矢田町27-2
※近鉄名古屋線「益生」駅 徒歩10分程
名古屋駅からは40分程
地図を見る
浄土真宗本願寺派。「いのち」に向き合うグリーフサポートのお寺として、「おてらこども食堂」やエンディングセミナー等の活動を行っています。
まいてらポータルサイトはこちら→http://mytera.jp/tera/zensaiji30/monk/