授業詳細
CLASS
老舗蒲鉾店主から学ぶ”熱田蒲鉾”
開催日時:2018年10月13日(土) 13時00分 ~ 15時30分
教室:大矢蒲鉾商店
レポートUP
先生:
大矢晃敬 / 大矢蒲鉾商店 代表
カテゴリ:【食/まちづくり/歴史・文化(参加費:1,500)】
定 員 :10人
きしめんに必ず乗っている蒲鉾、色って思い出せますか?
実は、他県とは違う色をしていることが・・・・。
そう。名古屋独特の蒲鉾があるのです!
その名は、熱田蒲鉾。
熱田蒲鉾の色は朱色で、名古屋朱とも呼ばれています。
その歴史は古く、世は戦国時代、織田信長らがこの地を治めていた時代に遡ります。
天下統一を夢見た信長は熱田神宮に戦勝祈願にと訪れました。
朱色は勝利の色、邪気を払いのける色。
そこに由縁し、この地域では全国には見ない独特の
朱色の蒲鉾が製造されるようになったのです。
熱田神宮の御社の色と織田家によって広まりました。
今回の授業では熱田で創業150年、熱田蒲鉾をつくる傍、
熱田の町を名古屋市内外に伝える活動を行っている
宮宿会の大矢蒲鉾商店・代表の大矢晃敬を講師に迎えます。
熱田蒲鉾のお話も聞きつつ、
滅多に入れない製造工場見学もあります。
熱田蒲鉾の歴史を知って行くと必ず出てくるのは
織田信長、蒲鉾から派生してちょっとだけ歴史の勉強もしてみようかと思います。
熱田蒲鉾に興味あることはもちろんのこと、
熱田のまちづくりもされている大矢晃敬さんに興味を持たれた方もぜひご参加ください。
【スケジュール】
12:45 受付開始
13:00 授業開始 アイスブレイク
13:10 ①熱田蒲鉾の歴史
13:30 ②工場見学 実際に試食も行います。
14:00 ③蒲鉾と織田信長ゆかりのある熱田街めぐり
14:50 ④みんなで共有と振り返り
15:10 集合写真とアンケート
15:30 会場解散
授業コーディネーター:佐藤あゆみ
愛知県出身の私も知らなかったのですが、「朱色」の蒲鉾は、「熱田蒲鉾」という、名古屋独特のものなんだそうです。(馴染みがあり過ぎて、気づきませんでした……)
そして「熱田蒲鉾」の歴史には、戦国武将・織田信長が関係しているとか。
今回の授業では、熱田蒲鉾や熱田のまちと、織田信長の関係。
そして、蒲鉾の製造工程を、詳しく面白く学んでいきます!
先生を務めるのは、創業150年以上の「大矢蒲鉾商店」6代目・大矢晃敬さんです。
熱田蒲鉾の製造・販売を行うだけでなく、近年は「あつた宮宿会」で織田信長と熱田にまつわる歴史を紙芝居で紹介するなど、まちを盛り上げるべく精力的に活動されています。
授業を始めるにあたって、まずは恒例の自己紹介と、授業参加のきっかけを、生徒の皆さんにしていただきました。
「まちあるきに興味がある」
「蒲鉾の製造に興味がある」
「名古屋のことを知りたい」など、きっかけはさまざま。
中には、「おいしい蒲鉾を食べたいから」と、率直な気持ちで参加を決めたという方もいました(笑)。
授業開始に際して、まずは大矢さんからお店の歴史や、全国各地で作られる蒲鉾の特徴を簡単に説明してもらいました。
蒲鉾の歴史は非常に古く、西暦1115年(平安時代)の文献に「蒲穂子(がまほこ)」という言葉が出てきたのが始まり、といわれています。
その一方で、西暦200年頃、第14代天皇・仲哀天皇の妻であった神功皇后が、三韓(朝鮮)討伐に際して、味方の士気を高めるために、蒲の穂先に敵の鉾に見立てた魚のすり身を塗りつけて焼いて食べたのが始まりである、といった言い伝えも残っているそうです。
文献には残っていないながらも、島国で、魚が豊富な日本であれば、200年頃に蒲鉾が誕生していてもおかしくありません。
蒲鉾にそんなロマンある歴史が潜んでいるとは、驚きでした……。
その中で、熱田蒲鉾が誕生したのは、戦国時代のこと。当時の熱田神宮は、朱色の社殿を構えており、朱色は邪気を払う、勝利を象徴するとされ、熱田では蒲鉾に朱色が使われ始めたそうです。
そして朱色は、派手好きな信長が好んだ色でもありました。
こういった背景から、名古屋をはじめとした東海地方では、現在まで朱色の蒲鉾の製造が受け継がれてきた、といわれています。(ちなみに、滋賀県の「赤こんにゃく」も、信長が関係しているとか……)
蒲鉾の歴史とともに、実際に蒲鉾を製造する工場も案内していただきました。
授業の日は店舗がお休みということもあり、実際の製造を目にすることはできませんでしたが、普段知る機会のないような機械の数々に、みなさん目が釘付けです。
案内後、製造工程を記録した映像を見せてもらい、「さっきのあの機械はこう動くんだ!」と、生徒の皆さんも驚きの連発!
蒲鉾の試食を楽しみながら、製造に関することや、大矢蒲鉾商店の歴史について、思い思いに質問されていました。
後半はお店を出て、まちあるきスタートです!
店舗から熱田神宮へ向かう途中に点在するお寺にまつわるエピソードや、地名の由来など、楽しく解説する大矢さん。
織田信長が幼少期に通ったお寺など、熱田には歴史にまつわる場所やモノが盛り沢山です。(個人的に「白鳥」の読みが「しろとり」だと初めて知りました!)
また、熱田神宮の摂社も多く点在しています。
そして、いよいよ熱田神宮の本殿へ。
お手水でお清めをしてから、白蛇が棲む大楠を紹介してもらいつつ、本殿を参拝です。
生徒さんの中には、初めて熱田神宮を参拝するという方が数人いらっしゃったので、それぞれにご自身のお願いごとを伝えていたのではないでしょうか。
熱田と信長といえば、もちろん「信長塀」を外すことはできません!
桶狭間の戦いの前に戦勝祈願し、勝利したことへ御礼として作られた「信長塀」は、瓦と土を交互に重ねて作られているため、独特の模様が特徴で、構造としてもとても強固であるとのこと。
皆さん興味津々です。
続けて「ここは裏道なんだけれど」と、大矢さんに釣れられ、正門へ続く、人通りのほとんどない(笑)道を歩く生徒の皆さん。
「あかずの門」といわれる「清雪門」を紹介してもらい、神宮内で唯一の「名古屋朱」の社殿の、南新宮社へ。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)が祀られる南新宮社は、熱田蒲鉾と同じ朱色で彩られ、本殿や他の摂社・末社とはまた違った雰囲気を醸し出していました。
ここで、集合写真をパチリ。
最後に、本殿から南に位置する正門を抜けると、周囲の土地が少しだけ下がっていて、熱田神宮が名古屋台地の縁(へり)に位置していることがよくわかります。
建物や道路ができる以前は「宮の渡し(七里の渡し)」を見据えることができたそうです。
改めて、熱田神宮が海に密接に関わる場所であったと感じられました。
締めくくりは、大矢さんがメンバーを務める「あつた宮宿会」の紹介を。
熱田で生業をする30〜40代の有志メンバーが主となり、熱田を「みんなが来たくなる場所」として、その魅力を発信する「宮宿会」は、毎月1日に行われ「あつた朔日(ついたち)市」を運営するなど、「熱田のまちで、面白いことをしていく」ということに、一貫してこだわり、活動されています。
生徒さんからは、「いろいろな場所に出向いて、熱田の魅力を伝えるのではなく、熱田の中で頑張る理由とは?」という質問も投げかけられました。
これに大矢さんは、
「外に出て、興味を持ってもらうだけでは、いつか飽きられてしまうかもしれない。それよりも、ここへ来てもらう人を増やしていくために何ができるか、何をすべきかを考え、形にしていくことが大事」ときっぱり。
「この場所から熱田の魅力を、世界中に発信していきたい」と熱を込めて語る大矢さんの姿に、これからもっと面白いことが起こるのではないかと、とてもわくわくしました。
数回した訪れたことのないまちはたくさんあります。
ましてや、歴史を知る機会なんて、ほとんどありません。
でも誰かが、
「あそこで面白いことをやっているよ!」
「こんな歴史があるんだって!」
と口にするだけで、足を向けるきっかけになるのではないでしょうか。
「面白い!」と思うこと、
それを誰かに伝えていくことが、「来たくなる場所」をつくっていくのかもしれません。
ひとまず、熱田蒲鉾の美味しさと熱田のまちの面白さを、自分の周りにどんどん話していきたいと思う、そんな授業でした!
レポート:伊藤 成美
写真:進藤 雄太朗
先生
大矢晃敬 / 大矢蒲鉾商店 代表
現在40歳!中学生の頃に家業を継ぐことを決め、高校を愛知県唯一の水産高校に進学し、大学は畜産(食肉)について勉強!水産練り製品製造とともに飲食業の勉強したいと考え、愛知県内の中華レストランに就職。レストラン経営を11年に渡り実践形式で学び現在の仕事に就く。名古屋蒲鉾をより多くの人に知ってもらう為に様々な広報活動を実施。5年前からあつた宮宿会に入り熱田区を盛り上げる活動にも参加。3年前よりあつた朔日市を開催し地元だけでなく、多くの観光客にも知ってもらえるようになってきた。まだまだたくさんの人に名古屋蒲鉾を知ってもらえるように活動中である。
今回の教室
大矢蒲鉾商店
住所:〒456-0035
名古屋市熱田区白鳥二丁目8番地12号
【アクセス】
名古屋市営地下鉄 神宮西駅より徒歩10分
JR東海道本線 熱田駅出口より徒歩15分
地図を見る
伊勢湾台風名前の年(1958年)に現在の工場を建てる。当時はまだ機械製造ではなく、毎朝名古屋中央卸売市場にて魚を買い捌きすり身を製造していた。(一部は機械化が進んでいた)井戸から水をとりほぼ手作業で多くの従業員と製造していたようで昭和40年を過ぎると機械化が一気に進みまた技術の向上から冷凍すり身の使用も始まり大量生産ができるようになった。しかし、時代経過とともに蒲鉾の価格が下がるとともに日本経済もバブルがはじけ熱田区内の多くの蒲鉾工場が閉鎖された。その中で早い段階で大量生産から脱却し本物の蒲鉾の品質を守り美味しい蒲鉾を販売する方針に切り替え現在まで継承してきた。ここ数年で本物志向の気運が高まり需要が増えてきている状況である。
大矢蒲鉾商店