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伊藤 鎮生  SHIGEO ITO

株式会社 めいてつカスタマーサービス 取締役(元セブン館 館長)

 昭和30年7月20日生まれ

昭和54年3月 慶應義塾大学 商学部卒業
4月 株式会社名鉄百貨店 入社
名古屋鉄道グループの流通の中枢企業で、当時は名証1部上場(平成16年2月上場廃止)。
従業員数は、当時は約1,800名。㈱メルサ、㈱金沢名鉄丸越百貨店などは関連会社。


昭和54年4月
セブン営業部配属
婦人服ヤングカジュアル売場に配属となり、7年半の間、販売、仕入れ、数値管理等売場運営業務に携わった。
 当時は、館は「名鉄セブン」と呼ばれており、名鉄百貨店の一営業部ではあったものの、ストアマーク、ショッピングバッグ、店内音楽などが名鉄百貨店とは別のもので、お客様 からは、百貨店ではなく、ファッションビルという位置づけで認知されていた。
 7年半の間、2階の売場の所属で、売場の隣の喫茶店からは「ナナちゃん」の顔が見られ、事務所が喫茶店の横にあったため、毎日出退勤時には、ナナちゃんの顔を拝んでいた。
 当時は、今や名古屋のビッグタレントとなられた宮地佑紀生さんも2階に「366の店」という雑貨店を出されており、一番隅の場所にもかかわらず、連日、中高校生で賑わっていた。

その後、経理、本館の婦人服売場などに配属。

平成13年8月
セブン営業部ゼネラルマネージャーに就任 (途中でセブン店長の呼び名の時期もあり)
名鉄百貨店セブン館の責任者となる。ヤングの婦人服が売上の約7割を占めていたが、その他にヤングの紳士服、スポーツウエア、ゴルフウエア・用品、学生服、文房具、喫茶飲食店等も館内に配置されていた。主たる業務は、館全体の管理運営で売上低迷が続いていたセブン館の立て直しの為に、館のリーシング、ブランドのスクラップ&ビルド、来店客増をねらった販売促進策等であった。
(社員30名、派遣社員500名以上)

 ・来店促進策として、「ナナセブンクラブ」というカードを発行し、来店するだけでポイントが付いたり、
 館内のお得な情報も提供した。
 ・お隣の「近鉄パッセ」さんとも客層が近いこともあり、駅地区活性化の為に共同イベントを数回実施。
 「ゲッツ」のダンディ坂野氏を「ナナちゃんステージ」に呼んだ時は、予想をはるかに上回るお客様が押し掛けて、3分で取り止めたことが最も印象に残っている。翌日の新聞には「ナナちゃん・ゲッツ」と出るし、警察にはこってり油を絞られるしで。。。.
 ・「セブンまつり」などのバーゲンや催事の時には、「ナナちゃん」を題材にした携帯ストラップやラムネをノベルティとして配り、即無くなる状態で、「ナナちゃん」人気の凄さを思い知らされた。
(平成18年8月まで)

 その後、私がセブンから離れた後、セブン館からヤング館と呼び名が変わり、昨年遂に、ヤマダ電機 が入って39年間続いた「名鉄セブン」栄光の歴史に幕が下ろされた事は、OBとして大変な悲しい
出来事であった。また、青春時代を「名鉄セブン」と共に歩んでいらっしゃったお客様、関係者の皆様にとっても私以上に感慨深いものがあったであろう。

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