授業詳細
CLASS
名古屋の”記憶”を巡るツアーvol.02-「駄菓子の街 新道・明道町界隈」編-
開催日時:2018年04月14日(土) 14時00分 ~ 16時30分
教室:名古屋西区新道(明道町)界隈
終了しました
先生:
浅野順子 / 「ものづくり文化の道」マイスター
カテゴリ:【まち歩き/歴史・文化】
定 員 :15人
【参加費用】
※参加費としてお一人様1,000円頂戴します。(保険料含む)
※中学生以下は、保護者同伴に限り参加費不要。(事前に事務局まで連絡ください。)
【集合・解散場所】
※集合場所(受付開始13:45〜):地下鉄鶴舞線「浅間町駅」改札口出口付近
【その他】
※雨天決行。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。
自分の住んでいるまちの記憶。皆さんは、どれぐらい知っていますか?※参加費としてお一人様1,000円頂戴します。(保険料含む)
※中学生以下は、保護者同伴に限り参加費不要。(事前に事務局まで連絡ください。)
【集合・解散場所】
※集合場所(受付開始13:45〜):地下鉄鶴舞線「浅間町駅」改札口出口付近
【その他】
※雨天決行。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。
いろんな角度からまちを見る目線を持つことで、自分の住んでいるまちがもっと面白くなる。
「まちの”記憶”を学ぶ」という目線で、これから名古屋の街中を巡っていきます。
今回は、「駄菓子の街 新道・明道町界隈」。
名古屋市の西区新道・明道町界隈には、全国最大規模の駄菓子問屋街があります。
尾張藩の下級武士らが手内職として煎餅や飴菓子などをつくりはじめたことで街がさかえ、
関東大震災の後に、被災地の東京の子供達にお菓子を供給した事から、
全国的な菓子問屋街に成長したといわれています。
現在は、まちの駄菓子屋さんの減少や中京菓子玩具卸市場の閉鎖などもあり、
規模は小さくなりましたが営業を続けているお店はたくさんあります。
クッピーラムネのカクダイ製菓さん、アタリ付きのガムやオレンジ味のマーブルガムを
製造している丸川製菓さんなど、駄菓子メーカーもこのまちに集積しています。
今回の授業では「ものづくり文化の道」マイスターとして
西区の街歩きガイドをしている浅野さんを先生に迎え、
新道・明道町界隈に残るまちの記憶を学びます。
美濃路にかつてあった名古屋城の治安を守る大木戸跡なども巡り、
駄菓子問屋街ができていったルーツを探ります。
途中、まちに長年住んでいる方に、景気が良かった頃のまちのお話を伺ったり、
駄菓子問屋街でお買い物をしたり、創業七十余年の豆菓子メーカー”豆福”さんにも立ち寄ります。
西区新道・明道町界隈を初めて訪れる方はもちろん、
駄菓子が好きな方もご参加ください。
【スケジュール】
13:45 受付開始 浅間町改札出口前
14:00 授業開始、導入
14:05 まち歩き開始
15:00 お買い物タイム
15:20 豆福さんへ移動
15:25 見学など
16:00 自己紹介&それぞれが見つけたまちの面白ところを共有
16:30 解散
授業コーディネーター:大野嵩明
<連続講座>
2018.04.14.10:00-「遊郭の面影が残る街 大門界隈」編〜
2018.04.14.14:00-「駄菓子の街 新道・明道町界隈」編〜
2018.04.15.10:00-「堀川界隈 伝馬橋―新洲崎橋」編〜
2018.04.15.14:00-「変化していくまち 納屋橋界隈」編〜
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キャンセル料について
安定的な運営のため、開催2日前以降のキャンセルはキャンセル料を申し受けます。あらかじめご了承ください。
やむを得ずキャンセルされる場合は、dai-nagoya@univnet.jpまでお早めにご連絡ください。
※電話連絡も可能ですが、打ち合わせなどで電話に出られない場合があります。留守電にメッセージを残してください。
Tel:070-5459-8213(受付時間:10:00~17:00 ※定休日:土・日・祝)
【キャンセル料】
2日前〜前日のキャンセル:参加費の50%
当日のキャンセル、無連絡不参加:参加費の100%
※電話でのキャンセルは当事務局の営業日、営業時間内にご連絡いただいた日を基準とします。
※代わりに参加できる方がおられる場合、キャンセル料は不要です。その旨をご連絡ください。
※無連絡不参加の場合、以後のご参加をお断りすることがございます。
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まだレポートはありません。
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先生
浅野順子 / 「ものづくり文化の道」マイスター
西区に住んで40年。「ものづくり文化の道」マイスター。
今回の教室
名古屋西区新道(明道町)界隈
住所:名古屋市西区新道
尾張藩の下級武士らが手内職として煎餅や飴菓子などをつくりはじまたことでまちが栄え、さらに関東大震災の後に、被災地の東京の子供達にお菓子を供給した事から、全国的な菓子問屋街に成長したと言われています。
現在は、駄菓子屋さんの減少や中京菓子玩具卸市場の閉鎖などもあり、規模は小さくなりましたが今でも営業を続けているお店はたくさんあります。