授業詳細

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名古屋の”記憶”を巡るツアーvol.03-「堀川界隈 伝馬橋―新洲崎橋」編-

開催日時:2018年04月15日(日) 10時00分 ~ 12時30分

教室:堀川界隈

レポートUP

先生: 伊藤 正博 / 堀川文化探索隊

カテゴリ:【まち歩き/歴史・文化】

定 員 :15人

【参加費用】
※参加費としてお一人様1,000円頂戴します。(保険料含む)
※中学生以下は、保護者同伴に限り参加費不要。(事前に事務局まで連絡ください。)

【集合場所】
※集合場所(受付開始9:45〜):地下鉄桜通線「国際センター駅」3番出口 地上

【その他】
※雨天決行。警報や注意報が発令されるなど荒天時は中止します。中止の場合は、開始時間の2時間前までに連絡いたします。
自分の住んでいるまちの記憶。皆さんは、どれぐらい知っていますか?
いろんな角度からまちを見る目線を持つことで、自分の住んでいるまちがもっと面白くなる。
「まちの”記憶”を学ぶ」という目線で、名古屋の街中を巡っていきます。

今回は、「堀川界隈 伝馬橋―新洲崎橋」。

堀川は、名古屋城築城と同じ1610年(慶長15年)に、福島正則により、
熱田と名古屋城下を結ぶ名古屋台地の西に沿って掘られました。

米や塩、木材などの物資を運ぶ物流としての機能や、
乗合船も運行され交通手段としても使われていたり、
桜や桃が咲きほこる名所でもありました。

また、沿川には、寺や神社も多く、お参りや散策に訪れたり、
お祭りも多数行われていました。

その他にも、大規模な藩の蔵、水軍関係者の屋敷、御船蔵、貯木場なども設けら、
堀川は名古屋のまちの中で重要な役割を果たしてきました。

今回の授業では「堀川文化探索隊」として、
堀川や周辺地域の歴史や文化を調べてPRしている伊藤さんを先生に迎え、
堀川界隈に残るまちの記憶を学び、今と昔の目線を行き来しながらまちを巡ります。

どうしてここに、海苔屋さんがたくさんあるの?、大きな倉庫があるの?など、
歴史をひも解くことで、今の街をみる目線が変化していきます。

授業の最後は、納屋橋にある「TWILO」に入りコーヒーなどを飲みながら、
今回訪れたまちで感じたことなどを、
参加した皆さんとお話しましょう!

【スケジュール】
09:45 受付開始
10:00 授業開始
12:00 まち歩き終了、
    納屋橋「TWILO」さんにて、コーヒーなどを飲みながら振返り
12:30 授業終了

授業コーディネーター:大野嵩明

<連続講座>
2018.04.14.10:00-「遊郭の面影が残る街 大門界隈」編〜
2018.04.14.14:00-「駄菓子の街 新道・明道町界隈」編〜
2018.04.15.10:00-「堀川界隈 伝馬橋―新洲崎橋」編〜
2018.04.15.14:00-「変化していくまち 納屋橋界隈」編〜

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キャンセル料について
安定的な運営のため、開催2日前以降のキャンセルはキャンセル料を申し受けます。あらかじめご了承ください。
やむを得ずキャンセルされる場合は、dai-nagoya@univnet.jpまでお早めにご連絡ください。
※電話連絡も可能ですが、打ち合わせなどで電話に出られない場合があります。留守電にメッセージを残してください。
Tel:070-5459-8213(受付時間:10:00~17:00 ※定休日:土・日・祝)

【キャンセル料】
2日前〜前日のキャンセル:参加費の50%
当日のキャンセル、無連絡不参加:参加費の100%
※電話でのキャンセルは当事務局の営業日、営業時間内にご連絡いただいた日を基準とします。
※代わりに参加できる方がおられる場合、キャンセル料は不要です。その旨をご連絡ください。
※無連絡不参加の場合、以後のご参加をお断りすることがございます。
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2018年4月8日に福島正則像が納屋橋に設置されました。堀川開削を称えられて作られましたが、では堀川にはどのようなまちの“記憶”があったのでしょうか。

堀川授業の一本目の午前中には堀川の歴史を探る授業が行われました。堀川文化探索隊の伊藤正博さんと一緒に堀川周辺を歩きました。7枚裏表の豪華なレジュメを作って頂き、これを見ながら歩きます。



集合場所の国際センター駅出口で自己紹介タイムを終え、いざ出発!まず向かったのは伝馬橋。堀川で現在賑わっている橋といえば納屋橋を想像しますが、この橋は江戸時代には堀川で一番賑わっていた橋だったそう。

現在では交通量のそこまで多くないので、驚きです。大名行列や朝鮮通信使がたくさん通った、東海道と中山道を結ぶ連絡通路であった美濃街道が通っていたそうです。

次に泥江縣(ひじえあがた)神社や光明院に向かいました。これらは堀川の舟運と江戸回線の物資輸送の航海安全を願った場所で、神仏に堀川沿いの商人が頼っていたことが分かる場所でした。



また泥江縣(ひじえあがた)神社には耳が聞こえない「つんば蛭子(えびす)」という神様が祀ってある社があり、魚の形をした板木を小槌で叩いて参拝するルールだそうです。実際叩いてみると小さな音がしました。



次に向かった神明社には「帰らざる社頭の勇姿を偲びて」と書かれた軍服男子の像が鳥居の横にありました。何とも勇ましい。そして中に進むと、風情のある池、赤い欄干のある橋と3つの社があることが印象的でした。個人的にはもう一度眺めてみたい情景でした。



次は錦橋へ。この通りは広小路、桜通とともに東西を結ぶ幹線道路ですが、間隔が狭いことで有名。何故なのでしょうか。この錦通は高速鉄道(地下鉄)を通すための用地であったそう。生い立ちが違っていたんですね…。



そして納屋橋へ。前に述べたように、明治以降の鉄道の開通によってメインストリートになった場所。電気鉄道が納屋橋から笹島まで通り、名古屋駅から市街地への玄関口へ発展。明治の終わりには納屋橋の改築工事が行われ、三英傑の紋や福島正則の「中貫十文字」の紋が刻みこまれ、「すずらん灯」と呼ばれる大正モダンな電灯が飾られていました。





納屋橋の横にあるのが旧加藤商会ビル。加藤商会は名古屋港を出入りする外来物の八割もの扱っていた商社。ビルにはひし形の「テラコッタ」と呼ばれる柱頭飾りやレンガ調タイルなど大正昭和の近代建築の特徴を残していて、現在にはタイ料理屋が入っている。「加藤商会」の看板とタイ料理屋が異なる謎が解決しました。



そして納屋橋から南へ。ここから洲崎橋付近には江戸時代には蔵があったそうです。その後明治には米が金納になったので、徒場(刑務所)が移されました。日露戦争後には倉庫が多く置かれ始め、T字型の引き込み水路があったそう。よく見るとその水路入口が残っていました。

その途中には福島正則像が出現。先生が解説を書かれました。福島正則に関して意外だったのが、彼が豊臣秀吉と同じ庶民出身の武将だったことです。堀川と郷土出身の武将だったことしか知らなかったので驚きです。



そして堀川沿いには愛知医学校がありました。現在の名古屋大学医学部です。説明の看板があるだけですが、中々気づかない位置にありました…。鶴舞にずっとあったと思っていたのに、最初は堀川沿いにあったのですね。知らなかったです…。

洲崎神社は福島正則が堀川工事の成功を祈願して建てられたところ。神輿や巻藁船が堀川を横断する祭礼などが行われたそう。



また今の新洲崎橋JCT付近には江戸時代には排水路と堀川を結ぶ川港が存在していたそう。古地図を見ると昔と今の違いがよくわかりますね。

津島神社。見たからにして数年後には壊れそうな神社でした。しかし門や塀は立派な飾りがあり、石垣には文字を刻んだ石が埋め込まれていました。正月には神社が開けられていますが、普段は開いていません。氏子さんも不足している様子。何とかして維持したいものです。

白龍神社は市電の江川線と広小路線が交差する柳橋の南にある神社。神社の鳥居には昇り竜と下り竜が柱に一対に彫られていたのが印象的でした。独特な造りで個人的に好きです。



最後に紹介して頂いたのは柳街道。納屋橋南西から始まる伊勢参りなどに行く最短ルートだったそうです。

その後TWILOでコーヒーを飲みながら感想共有タイム。堀川には昔と今が混在して成立している場所であることが分かった、名古屋のおすすめポイントとしてもっと広めていきたい!などという感想がありました。

また、先生のコメントで印象に残ったのが「今回一緒に見た堀川は私が好きな場所を巡っただけ。十人いるのなら十通りの見方があるはず」というもの。堀川をもっと探索してお気に入りの場所を探してみたくなりました。



レポート:進藤 雄太朗(インターンシップ生)
写真:あいざわけいこ

※写真をクリックすると拡大します。


 

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先生

伊藤 正博 / 堀川文化探索隊

元名古屋市職員で、堀川などの環境整備や啓発業務に従事。平成 13 年につくられた堀川文化探索隊で、堀川や周辺地域の歴史や文化を調べてPRしている。

今回の教室

堀川界隈

住所:名古屋市

堀川は、名古屋城築城と同じ慶長15年(1610年)に、福島正則により、熱田と名古屋城下を結ぶ川が名古屋台地の西に沿って掘られた。