授業詳細

CLASS


尾張藩とまつり

開催日時:2023年10月17日(火) 18時00分 ~ 20時00分

教室:名古屋城本丸御殿 孔雀之間

レポートUP

先生: 原史彦 / 名古屋城調査研究センター 主査

カテゴリ:【城子屋/歴史・文化】

定 員 :35人

※本講座は、名古屋城主催の「城子屋」プログラムです。
※参加費:無料(別途名古屋城観覧料が必要)
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2023年10月15日(日)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。

※講座当日の受付場所は名古屋城「正門」前です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。
約400年前の名古屋城築城時、そして平成の本丸御殿復元でも用いられた木曽・裏木曽の木材、木が育つ森を守ってきた山守の存在、金鯱の由来、かつて城内にあった庭園の調査、城下町で流行した文化、江戸時代の経済、本丸御殿復元に貢献した伝統の技など、さまざまな切り口から名古屋城そのものや尾張藩について学ぶ講座を実施してきました。

講師を務めるのは、歴史、技芸、教育、文化などの研究者や伝統を受け継ぐ人たちや、名古屋城の調査研究に携わる現役学芸員。現在進行中の発掘調査に関する報告を発表する講座もあります。
本丸御殿・孔雀之間で、名古屋の「城」と「まち」について学びを深めていきましょう。

今回の講座で取り上げるのは「まつり」です。
尾張藩は名古屋東照宮祭礼を主催するなど、城下のまつりと深い関わりを持っていました。歴代藩主の内、7代宗春や10代斉朝はまつりを特に愛好した殿様と知られ、まつり文化発展に大きく寄与しました。名古屋城調査研究センター主査で、近世武家文化等に関する調査研究を担当する原史彦さんが講師を務め、尾張藩とまつりとの関わりを紐解きます。


<スケジュール>
17:45 名古屋城正門にて受付開始
18:00 本丸御殿孔雀之間に移動
18:15 講座開始
19:45 終了、孔雀之間を退出
20:00 解散

主催:名古屋城(名古屋市)
運営:大ナゴヤ大学



【城子屋】
かつて読み書き算盤を学ぶ「寺子屋」が地域に開かれていたように、名古屋城をまちに暮らす人たちの学びの場とするプログラムです。城やまちに関する知識を深められる、老若男女誰もが参加できる場をつくります。

【過去開催した講座】
・本丸御殿「上洛殿」に見る、彫刻欄間の技と歴史
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/655

・名古屋城と尾張徳川家の蔵書
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/654

・最新の発掘調査成果からみた二之丸庭園
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/666

2023年10月17日、城子屋「尾張藩とまつり」を、本丸御殿孔雀之間で開催しました。講師は、名古屋城調査研究センター主査の原史彦さん。名古屋の人たちが楽しみな年中行事のひとつ「名古屋まつり」を前に、江戸時代に尾張藩で開催されていた祭礼の歴史についてお話しいただきました。



名古屋のまちでまつりが行われるようになったのはいつ頃のことか。名古屋まつりのルーツとして名前があがりやすいのは、徳川家康を偲ぶ「東照宮礼祭」ですが、祭礼形態が継承されるなどのつながりはないといいます。とはいえ、江戸時代の尾張藩における一大行事であったことは間違いなく、まずは名古屋東照宮礼祭が始まった経緯やその様子について、史料を手がかりにご説明いただきました。元和4年(1619年)に、久能山、日光に続き、国内では3箇所目となる東照宮が造営された名古屋。同7年(1622年)には、祭礼の原型が出来上がったのではないかと考えられています。立派な神輿や山車が出される祭礼行列の様子や、お金を払ってまつりを見学できる上覧所があったことなどが紹介されました。興味深いのは、名古屋東照宮礼祭が、尾張藩の人だけでなく町人の力も借りて運営されていたことです。まつりが町人のエネルギー発散の場になったとも考えられ、この形態は全国の城下町礼祭や東照宮礼祭の見本になった可能性が高いそうです。



後半には、歴代藩主とまつりの関係性についても語られました。初代徳川義直、7代宗春、10代斉朝、14代慶勝が、それぞれまつりとどう関わったのか。とりわけ、宗春による規制緩和は、まつりとまちの様子を大きく変えました。また、慶勝時代に撮影された、日本最古の祭礼を撮った写真も見せていただきました。



尾張藩のまつりが形づくられていった歴史に触れて、今の時代にも共通するまつりのあり方や特質が見て取れたと思います。藩や城との密接なつながりのもとに祭礼が行われていたことを知り、参加者さんたちのまつりというものへの見え方も少し変わったのではないでしょうか。

※写真をクリックすると拡大します。


 

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先生

原史彦 / 名古屋城調査研究センター 主査

専門は江戸幕府政治史。東京都江戸東京博物館、東京都写真美術館、徳川美術館を経て現職。現在放映中の大河ドラマ「どうする家康」では資料提供を担当。

今回の教室

名古屋城本丸御殿 孔雀之間

住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
※教室は和室です
地図を見る

徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。