授業詳細
CLASS
名古屋が愛し支えた能・狂言−江戸時代の名古屋城内外における能役者の境遇−
開催日時:2024年01月06日(土) 10時00分 ~ 11時30分
教室:名古屋城本丸御殿 孔雀之間
レポートUP
先生:
飯塚 恵理人 / 椙山女学園大学 文化情報学部 教授
カテゴリ:【城子屋/歴史・文化】
定 員 :35人
※参加費:500円(別途名古屋城観覧料が必要)
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2024年1月4日(木)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。
※講座当日の受付場所は名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ前です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
約400年前の名古屋城築城時、そして平成の本丸御殿復元でも用いられた木曽・裏木曽の木材、木が育つ森を守ってきた山守の存在、金鯱の由来、かつて城内にあった庭園の調査、城下町で流行した文化、江戸時代の経済、本丸御殿復元に貢献した伝統の技など、さまざまな切り口から名古屋城そのものや尾張藩について学ぶ講座を実施してきました。
講師を務めるのは、歴史、技芸、教育、文化などの研究者や伝統を受け継ぐ人たちや、名古屋城の調査研究に携わる現役学芸員。現在進行中の発掘調査に関する報告を発表する講座もあります。
本丸御殿・孔雀之間で、名古屋の「城」と「まち」について学びを深めていきましょう。
今回の講座で取り上げるのは「能・狂言」です。
名古屋は「芸どころ」と呼ばれ、伝統的な文化・芸能に関する稽古事が盛んといわれています。それは中世に端を発し、現在にまで続く独自の伝統芸能文化が花開いてきました。
江戸時代の尾張藩では幕府と同様に、能役者を「御役者」として藩独自で雇用していました。嗜みとして初代藩主・義直をはじめ歴代藩主は御役者に能の稽古を受け、自ら舞った記録がある二代光友の他にも、最後の尾張藩主である十四代慶勝などが能の愛好者であったことが分かっています。この御役者達は、実は城下の大商人などとも深く関わっていました。
名古屋をはじめ東海地域の能楽文化を研究する飯塚恵理人先生に、尾張徳川家と能役者の関係、市井における能・狂言の発展がもたらしたものなどについてお話しいただきます。
【スケジュール】
9:30 受付開始
10:00 講座開始
11:30 終了
主催:名古屋城(名古屋市)
運営:大ナゴヤ大学
【城子屋】
かつて読み書き算盤を学ぶ「寺子屋」が地域に開かれていたように、名古屋城をまちに暮らす人たちの学びの場とするプログラムです。城やまちに関する知識を深められる、老若男女誰もが参加できる場をつくります。
【過去開催した講座】
・名古屋城と尾張徳川家の蔵書
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/654
・最新の発掘調査成果からみた二之丸庭園
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/666
・尾張藩とまつり
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/670
飯塚先生のお話は、冒頭より多数の史料の画像を示しながら進められました。江戸時代よりも前、世阿弥の活躍した応永年間(1394〜1427年)に、熱田神宮で猿楽が演じられていたこと。関ヶ原の戦いの頃、清洲で催された能の出演者とその出自。徳川家が公認した流派。尾張藩二代藩主・光友が能の名手であったこと。「金城温古録」に記された名古屋城の奥舞台の様子。先生の説明を通して、当時の能・狂言をめぐる模様がいろいろな角度から浮き彫りにされました。
続けて話題は、尾張藩とも関わりの深い役者たちが、どのような生涯を送っていたかへ。二代藩主の光友に能を教えたとされる金春八左衛門は、尾張藩とのつながりの深さが、幕府との二重出仕になっても尾張藩の勤めを続けていける根拠になったそうです。御役者たちの家系図を見ると、「病弱のために暇」つまり体調を理由に養子に出され、役者から別の道へ移った人が何人もいたことがわかります。能役者の家に生まれながら、養子という仕組みを使い、自分の得意を活かす人生を歩んだ人もいたのがとても興味深いです。
この他、役者たちがどんな俸給を得ていたか、どこに居住しどのように勤めていたかなど、生活の実態が窺える史料も。藩に属さない町役者や旅興業主体の一座の存在にも触れられました。
講座の後半では、江戸から明治へと世の中が大きく変化した頃の、能役者たちについても紹介されます。明治維新の後、尾張藩は能楽師たちに軍役を与え、兵士としての訓練と能の修行の両方が行われていました。こうした状況からは、尾張藩が時代の節目において、能楽師たちが路頭に迷うことがないよう、守ろうとしていた姿勢が見て取れるといいます。
自ら能を舞うことを好んだ藩主も多かった尾張藩。幕府や他の地域とは異なる形で能・狂言の文化を愛し、育て、守ってきたことを、役者たちのエピソードから深く知る機会になりました。
カメラ・レポート/小林優太
先生
飯塚 恵理人 / 椙山女学園大学 文化情報学部 教授
1961年にアメリカ・シカゴで生まれ、愛知県で育つ。椙山女学園大学では能・狂言などの日本の伝統芸能についての日本文化論や東海地域の伝統文化の歴史を教えるとともに、SPㇾコード・オープンリールテープ音源などの伝統芸能資料の収集・整理とデータベース作成などのアーカイブ化に取り組み、ラジオやレコードなどの近現代マスメディアが日本の古典芸能に与えた影響についての研究も行っている。
今回の教室
名古屋城本丸御殿 孔雀之間
住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
※教室は和室です
地図を見る
徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。