授業詳細

CLASS


尾張藩主の名古屋城視察 ―城内巡覧記録『御巡覧留』を読む―

開催日時:2024年05月06日(月) 10時00分 ~ 11時30分

教室:名古屋城本丸御殿 孔雀之間

レポートUP

先生: 堀内 亮介 / 名古屋城調査研究センター 学芸員

カテゴリ:【城子屋/歴史・文化】

定 員 :35人

※本講座は、名古屋城主催の「城子屋」プログラムです。
※参加費:無料(別途名古屋城観覧料が必要)
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2024年5月1日(水)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。

※講座当日の受付場所は名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ前です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。
約400年前の名古屋城築城時、そして平成の本丸御殿復元でも用いられた木曽・裏木曽の木材、木が育つ森を守ってきた山守の存在、金鯱の由来、かつて城内にあった庭園の調査、城下町で流行した文化、江戸時代の経済、本丸御殿復元に貢献した伝統の技など、さまざまな切り口から名古屋城そのものや尾張藩について学ぶ講座を実施しています。

講師を務めるのは、歴史、技芸、教育、文化などの研究者や伝統を受け継ぐ人たちや、名古屋城の調査研究に携わる現役学芸員。現在進行中の発掘調査に関する報告を発表する講座もあります。
本丸御殿・孔雀之間で、名古屋の「城」と「まち」について学びを深めていきましょう。

今回取り上げるのは、尾張藩主の名古屋城視察。
江戸時代、尾張藩主が名古屋に初入国したときには、名古屋城の継承者であることを示すため、天守や本丸御殿等の城内を巡検する「御巡覧」が実施されました。
名古屋城調査研究センター学芸員の堀内亮介さんの解説のもと、かつて行われてきた巡覧行事、名古屋城の歴史を伝えます。


【スケジュール】
9:30 受付開始
10:00 講座開始
11:30 終了

主催:名古屋城(名古屋市)
運営:大ナゴヤ大学

【城子屋】
かつて読み書き算盤を学ぶ「寺子屋」が地域に開かれていたように、名古屋城をまちに暮らす人たちの学びの場とするプログラムです。城やまちに関する知識を深められる、老若男女誰もが参加できる場をつくります。


【過去開催した講座】
・尾張藩とまつり
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/670

・名古屋が愛し支えた能・狂言−江戸時代の名古屋城内外における能役者の境遇−
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/678

・積直しから読み解く名古屋城石垣の歴史
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/679

2024年5月6日、城子屋「尾張藩主の名古屋城視察―城内巡覧記録『御巡覧留』を読む―」を、本丸御殿孔雀之間で開催しました。講師は、名古屋城調査研究センターの学芸員・堀内亮介さん。名古屋城に関する文献調査をご専門とされています。今回は『御巡覧留』という史料を手がかりに、江戸時代に行われた尾張藩主による名古屋城視察の様子とその意味についてお話しいただきました。



はじめに名古屋城の概要の説明がされました。築城までの経緯、特に天守や本丸御殿の建設と利用の歴史について詳しくふれられます。江戸時代の間、二度の将軍来訪の他はほぼ利用されなかった本丸御殿。来訪以外に使われたのが、今回の講座のテーマである「御巡覧」の機会だったといいます。

「御巡覧」とは、尾張藩主が名古屋に入国した際に城内を巡検する行事です。初入国の際の恒例行事となっており、もっとも古くは3代藩主・綱誠の御巡覧が確認できるそうです。初代藩主・義直以来の「天守御成」の名残がみられ、名古屋城の継承を示す大切な行事として位置付けられていました。その様子が詳細に記録されているのが『御巡覧留』。文字だけでなく図解もあり、実際に記された道順を画像で見ながら解説が進められます。



具体的な事例として、元文4年(1739年)の8代藩主・宗勝の御巡覧が取り上げられました。城内をどの順番で巡り、どこでどんな役職の人間が出迎えたか。天守や本丸御殿では、藩主と家臣が対面し、熨斗鮑(のしあわび)を手渡すなどして、関係を確認する行事も行われました。お話を聞いていると、いかに詳細な記録が残されていたかが窺えます。さらに、9代藩主・宗睦以降の御巡覧をみると、宗勝とはルートの違いなどがみられ、順路の合理化や軍備の確認が重要視されるようになったといいます。御巡覧という行事にまつわる様相の変化から、そこに関わる様々な人たちの意図がみえてくるのも実に興味深いです。

天守や本丸御殿を建物として知っていても、そこがどのように使われていたかはなかなか知る機会の少ないこと。今回のお話は、その利用の実態の一端がわかる内容でした。『御巡覧留』は、当時の尾張藩士が後世に職務や行事について書き残しておくためのものでもあったようです。歴史を紐解く上で、こうした史料が貴重であることも感じられたのではないでしょうか。



カメラ・レポート/小林優太

※写真をクリックすると拡大します。


 

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先生

堀内 亮介 / 名古屋城調査研究センター 学芸員

2019年入庁。 名古屋城の歴史に関する文献調査(石垣等)を担当。 2023年西の丸御蔵城宝館特別展「守山の御寺 大森寺の宝物」の展示を担当。 専門分野は日本中世・近世歴史学。

今回の教室

名古屋城本丸御殿 孔雀之間

住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
※教室は和室です
地図を見る

徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。