授業詳細
CLASS

名古屋城本丸御殿障壁画の裏と中 修理からわかること
開催日時:2025年01月18日(土) 10時00分 ~ 11時30分
教室:名古屋城本丸御殿 孔雀之間
レポートUP
先生:
朝日美砂子 / 名古屋城調査研究センター 学芸員
カテゴリ:【城子屋/歴史・文化】
定 員 :35人
※本講座は、名古屋城主催の「城子屋」プログラムです。
※参加費:無料(別途名古屋城観覧料が必要)
※申し込み開始日時は2024年12月11日10時です。
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2025年1月16日(木)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。
※講座当日の受付場所は名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ横(天守閣側)です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。※参加費:無料(別途名古屋城観覧料が必要)
※申し込み開始日時は2024年12月11日10時です。
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2025年1月16日(木)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。
※講座当日の受付場所は名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ横(天守閣側)です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
歴史、芸能、文化、さらには最新の考古学調査など、さまざまな切り口から名古屋城や尾張藩を学ぶ、名古屋城主催の講座です。
講師を務めるのは第一線で活躍する研究者や伝統を受け継ぐ人たち。名古屋城の調査研究に携わる現役学芸員が、現在進行中の取り組みに関する報告を発表する講座もあります。
本丸御殿・孔雀之間で、名古屋の「城」と「まち」について学びを深めていきましょう。
今回のテーマは、重要文化財に指定される名古屋城本丸御殿障壁画です。
1047面の障壁画は名古屋城にしかない、まさに国の至宝。
名古屋城では、江戸時代以来繰り返し修理し、現状を保ってきました。
修理の際には、解体修理や化学分析も行っており、修理時にはじめて判明する事実も多々あります。
また、本丸御殿障壁画の魅力は画面だけではありません。まわりの木枠や引手、鍵にも着目すると構造にも迫ることができます。
先生を務める名古屋城調査研究センター学芸員の朝日美砂子さんは近世絵画を専門とし、約20年にわたり名古屋城で研究に従事し、城の建物を飾る絵画に加え、金具にも深く関わるようになったといいます。
「名古屋城は、実はそれら美術工芸品の宝庫であり、日々新発見の連続です」と語る朝日先生とともに、修理時の現場写真を通し、本丸御殿障壁画の本質にふれてみましょう。
【スケジュール】
9:30 受付開始
10:00 講座開始
11:30 終了
主催:名古屋城(名古屋市)
運営:大ナゴヤ大学
【城子屋】
かつて読み書き算盤を学ぶ「寺子屋」が地域に開かれていたように、名古屋城をまちに暮らす人たちの学びの場とするプログラムです。城やまちに関する知識を深められる、老若男女誰もが参加できる場をつくります。
【過去開催した講座】
・尾張藩主の名古屋城視察 ―城内巡覧記録『御巡覧留』を読む―
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/689
・名古屋城天守から山々の方角を測る
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/707
・名勝名古屋城二之丸庭園の「タタキ(三和土)」
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/711
2025年1月18日、城子屋「名古屋城本丸御殿障壁画の裏と中 修理からわかること」が、本丸御殿孔雀之間で開かれました。お話しいただいたのは、名古屋城調査研究センターの朝日美砂子さんです。復元された名古屋城本丸御殿を華麗に彩る障壁画の数々。そのオリジナルでもある現存する障壁画の修理がどのように行われているのか、そこからどんなことが分かるのかなどをお聞きしました。

障壁画とは、端的にいえば絵が描かれた建具のこと。本丸御殿においても、固定された「壁」や室内外を仕切る「障子」に多種多彩な障壁画が用いられました。慶長20年(1615年)に完成した本丸御殿には、約1400面の障壁画があったとされます。本丸御殿の建物は、昭和の戦時中に焼け落ちてしまいますが、障壁画は城内の乃木倉庫に保管されており戦火を免れました。
今、私たちが目にしている復元された本丸御殿の障壁画は、現存する障壁画や過去の写真をもとに模写されたものです。とはいえ、オリジナルの障壁画は劣化で色がなくなっている部分もあり、なにが描かれているか分からない場合も少なくありません。では、残った絵の具からどのように復元がなされたのか。障壁画の画像を参照しながら、具体的な事例をご紹介いただきました。

続けて、障壁画の修理の方法について。名古屋城の障壁画は、江戸時代からたびたび修理され、状態を維持してきました。障壁画はさまざまな要因でいたみます。例えば、建物の中での位置や、襖の奥か手前かで光の当たり方が異なり、紫外線にさらされやすい面ほどはやく劣化が進んでしまうのです。こうした環境要因の他、時間経過や人間の管理不行き届きなどが劣化をまねきます。いくつかの襖を例に、焼失前の実測図を参照しつつ、配置による色落ち具合を解説していただきました。参加者のみなさんも、違いを理解できたのではないでしょうか。

障壁画を未来へと残していくために修理は必要不可欠です。講座の最後には、今の修理工房の様子を動画で見せていただきました。なかなか見られない貴重な映像です。障壁画を丁寧に剥がし繕う繊細な作業によって障壁画が守られてきたのだと知りました。
朝日さんは「人は無知と怠惰で資料をこわす。しかし人は、努力と継承により資料を延命されることもできる」といいます。この言葉の通り、障壁画の管理と修理における人の力の大切さを実感するお話でした。
カメラ・レポート/小林優太

障壁画とは、端的にいえば絵が描かれた建具のこと。本丸御殿においても、固定された「壁」や室内外を仕切る「障子」に多種多彩な障壁画が用いられました。慶長20年(1615年)に完成した本丸御殿には、約1400面の障壁画があったとされます。本丸御殿の建物は、昭和の戦時中に焼け落ちてしまいますが、障壁画は城内の乃木倉庫に保管されており戦火を免れました。
今、私たちが目にしている復元された本丸御殿の障壁画は、現存する障壁画や過去の写真をもとに模写されたものです。とはいえ、オリジナルの障壁画は劣化で色がなくなっている部分もあり、なにが描かれているか分からない場合も少なくありません。では、残った絵の具からどのように復元がなされたのか。障壁画の画像を参照しながら、具体的な事例をご紹介いただきました。

続けて、障壁画の修理の方法について。名古屋城の障壁画は、江戸時代からたびたび修理され、状態を維持してきました。障壁画はさまざまな要因でいたみます。例えば、建物の中での位置や、襖の奥か手前かで光の当たり方が異なり、紫外線にさらされやすい面ほどはやく劣化が進んでしまうのです。こうした環境要因の他、時間経過や人間の管理不行き届きなどが劣化をまねきます。いくつかの襖を例に、焼失前の実測図を参照しつつ、配置による色落ち具合を解説していただきました。参加者のみなさんも、違いを理解できたのではないでしょうか。

障壁画を未来へと残していくために修理は必要不可欠です。講座の最後には、今の修理工房の様子を動画で見せていただきました。なかなか見られない貴重な映像です。障壁画を丁寧に剥がし繕う繊細な作業によって障壁画が守られてきたのだと知りました。
朝日さんは「人は無知と怠惰で資料をこわす。しかし人は、努力と継承により資料を延命されることもできる」といいます。この言葉の通り、障壁画の管理と修理における人の力の大切さを実感するお話でした。
カメラ・レポート/小林優太
先生
朝日美砂子 / 名古屋城調査研究センター 学芸員
名古屋市博物館、名古屋市秀吉清正記念館、名古屋城総合事務所に学芸員として勤務。専門は近世絵画。
今回の教室
名古屋城本丸御殿 孔雀之間

住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
※教室は和室です
地図を見る
徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。