授業詳細

CLASS


外国人が見た近代の名古屋城

開催日時:2026年01月12日(月) 10時00分 ~ 11時30分

教室:名古屋城本丸御殿 孔雀之間

レポートUP

先生: 吉田達矢 / 名古屋学院大学 国際文化学部 准教授

カテゴリ:【城子屋/歴史・文化】

定 員 :35人

※本講座は、名古屋城主催の「城子屋」プログラムです。
※参加費:500円(別途名古屋城観覧料が必要)
※申し込み開始日時は2025年12月10日10時です。
※申込みは当ページ「この授業に申し込む」から。2026年1月7日(水)12時00分まで(先着順、満席になり次第締切)。

※講座当日の受付場所は名古屋城本丸御殿ミュージアムショップ横(天守閣側)です。
※会場は和室のため、座布団にご着席いただきます。机の用意はございません。
名古屋城とつくる学びの場「学びでつながる城とまち。城子屋」。
歴史、芸能、文化、さらには最新の考古学調査など、さまざまな切り口から名古屋城や尾張藩を学ぶ、名古屋城主催の講座です。

講師を務めるのは第一線で活躍する研究者や伝統を受け継ぐ人たち。名古屋城の調査研究に携わる現役学芸員が、現在進行中の取り組みに関する報告を発表する講座もあります。
本丸御殿・孔雀之間で、名古屋の「城」と「まち」について学びを深めていきましょう。

今回のテーマは、外国人が見た近代の名古屋城
明治時代のはじめから終戦直前まで名古屋には多くの外国人が訪れました。
彼らは名古屋のどのような場所を訪れ、どのように見たのか。
名古屋城と外国人の接点にも注目しながら、近代を中心に名古屋と外国人の関わりを紐解きます。
お話をいただくのは近現代の名古屋と外国人の関わりを研究されている名古屋学院大学の吉田達矢先生です。

今も多くの外国人が行き交う名古屋。これまでのテーマとは少し異なる視点で、名古屋や名古屋城を見つめてみましょう。

【スケジュール】
9:30 受付開始
10:00 講座開始
11:30 終了

主催:名古屋城(名古屋市)
運営:大ナゴヤ大学

【城子屋】
かつて読み書き算盤を学ぶ「寺子屋」が地域に開かれていたように、名古屋城をまちに暮らす人たちの学びの場とするプログラムです。城やまちに関する知識を深められる、老若男女誰もが参加できる場をつくります。

【過去開催した講座】
・名古屋城三の丸遺跡−調査成果から土地の移り変わりを考える−
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/743

・縁(へり)から知る名古屋城〜三の丸・「外堀」・御深井大堀(水堀)〜
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/738

・上空のまなざし、地上の記憶 〜名古屋城が燃えた日〜
https://dai-nagoya.univnet.jp/subjects/detail/739
2026年1月12日、名古屋学院大学国際文化学部准教授の吉田達矢さんを先生にお招きし、名古屋城本丸御殿孔雀之間で「外国人が見た近代の名古屋城」を開催しました。



吉田先生の専門はオスマン帝国史。最近では、近現代の名古屋におけるイスラーム教徒をはじめとする外国人の足跡をたどる研究にも取り組んでいます。今回の講座では、近代以降の名古屋、名古屋城の歴史、交通網の変遷などについておさらいした上で、吉田先生の研究を通して、明治時代前半から戦前までにどんな国の人々が、どんな目的で名古屋を訪れたのかについて解説いただきました。





江戸時代、出島から江戸を往復する外国人の記録を見ると、大阪・京都〜江戸の移動には主に東海道が利用されていたことがわかります。ですがこの場合、桑名〜宮宿ルートを利用するため、外国人が訪れるのは熱田の周辺。基本的には名古屋城下町は素通りされていたそうです。幕末には、外国人に名古屋城が注目され始めたといわれています。

外国人が名古屋城を訪れるようになったのは、遅くとも明治時代初めからとのこと。記録によると、来名した(名古屋を訪れた)外国人は外交官、皇太子、作家、旅行家、学者、牧師、宣教師など。当時の記録には、来名者の「名古屋城を一覧したい」といった要望や、「商業が盛ん」「(名古屋は)日本で4番目に大きな都市」「工業都市」「驚くほど近代的な都市」といった記述が残っています。もちろん、名古屋城と金鯱の記録も。ただ、明治後半では、名古屋城に良くない印象を持つ記録もみられます。吉田先生によると「濃尾地震の被害の影響が考えられるのでは?」とおっしゃっていました。



大正時代になると、欧米に加えてアジアなど、さまざまな地域からの来名者が増加。訪問先として人気が高かったスポットの一つが、愛知商品陳列館でした。外国人の、名古屋のものづくりに対する関心の高まりが感じられます。明治時代と比べると登場頻度は減ったものの、当時離宮だった名古屋城に関する記述も多く残っています。フランスから訪れた詩人・劇作家のポール・クローデルは戯曲『繻子の靴』で、名古屋城の天守閣について記述しています。遠い国からやってきた人の心に、名古屋城から目にした光景が残っていたと思うとしみじみとした気持ちになりました。



昭和10年代までは、欧米やアジア諸国からさまざまな来名者がいましたが、日本と国際社会との関係悪化に伴い、来名者の数は減少。太平洋戦争に突入すると、記録はほとんどなくなったといいます。

江戸から明治、大正、昭和前期とたどっていく中で、来名する外国人のニーズの多様化の変遷を感じ取ることができるとともに、「ものづくりのまち」としての名古屋に対する関心は古くから続くものなのだと実感することができました。併せて、観光名所としての名古屋城の歴史についても触れられたように思います。

公的に残る記録だけでなく、日本の新聞、海外の新聞、来名者が残した記録など、さまざまな文献をつぶさに観察しながら、かつて名古屋に訪れた人たちの足跡をたどる吉田先生。今後の課題として「資料を収集・精緻化して、他の都市、さらには戦後にも目を向けて外国人の視点の変化を明らかにすることで、観光地としての名古屋城、名古屋市を考えていきたい」とお話ししていました。





時代とともに移り変わってきた「名古屋・名古屋城を見る視点」。さらなる研究の発展に期待を寄せながら、ひとりの市民としても今後どのように変わっていくのか、思いを巡らせてみたいと感じました。

カメラ・レポート/伊藤成美

※写真をクリックすると拡大します。


 

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先生

吉田達矢 / 名古屋学院大学 国際文化学部 准教授

今回の教室

名古屋城本丸御殿 孔雀之間

住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1−1
※教室は和室です
地図を見る

徳川家康の命によって建てられた、尾張徳川家の城・名古屋城。その一角をしめる本丸御殿は、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として1615年(慶長20)に完成。1945年(昭和20)、空襲により残念ながら焼失し、永らく復元が待ち望まれてきました。幸いなことに、江戸時代の図面や記録、昭和戦前期に作成された実測図、古写真などが残されていたため、2009年(平成21)から復元工事を開始。第一級の史料をもとに、他では類を見ない正確さで忠実に復元を進めてきました。2018年(平成30)には、江戸幕府将軍家光の宿泊のために建造された最も格式が高い「上洛殿」や「湯殿書院」が完成し、その優美な姿を公開しています。